源氏物語ゆかりの地、光源氏がわび住まいをしていたとされた地を訪ねてみる。
『源氏物語』で「海づらはやや入りて、あはれにすごげなる山中なり」(海岸から少し入り込んでいて、身にしみるほど寂しい山中である)と描写されたこの地に寺院が建てられたのは1514(永正11)年のこと。
浄教上人が開いたといわれ、御本尊には阿弥陀如来が祀られている。
正しくは、藩架山現光寺(ませがきさんげんこうじ)。
浄土真宗西本願寺派。
江戸時代の地誌では、ここが光源氏の居住地と伝えられており、昔は「源光寺(げんこうじ)」・「源氏寺(げんじでら)」とも呼ばれていた。
紫式部の『源氏物語』の「須磨の巻」で主人公の光源氏がわび住まいをしていたとされた場所。
源氏寺碑
おはすべき所は行平中納言の 藻潮たれつつわびける家居近き わたりなりけり海面はやや入りて あわれにすごげなる山なかなり
この石碑には源氏物語の須磨の巻の一説が書かれている。
現光寺は紫式部が書いた源氏物語の主人公光源氏が、従者数人と京より須磨に退去した際、わび住まいをしていたところと古来より語り継がれてきた。
このことから「現光寺」は以前は「源氏寺」とか「源光寺」と呼ばれていた。
この石碑は、もともと現在の場所より北西約20メートル離れたところに建てられていましたが、阪神淡路大震災後の都市計画道路千森線の整備にあわせて、新しく再建された現光寺の門前へ移された。
平成15年4月吉日(現地案内板より)
源氏寺碑案内板
謡曲「須磨源氏」の説明版。
光源氏の月見の松の説明版。
「芭蕉」という俳号を使う前の「松尾桃青」時代の1678(延宝6)年、「須磨・明石」を題とする句会で「見渡せば 眺むれば 見れば須磨の秋」という句を呼んでいた。
松尾芭蕉は、1688(貞亨5)年4月に須磨を訪れ、境内の風月庵に宿を取っている。
源兼昌によって「淡路島通う千鳥の鳴く声にいく夜寝覚めぬ須磨の関守」と歌われた須磨の関。
現光寺の近くに「藩架(ませがき)」とか「ヤグラ」という字名が残っていて、古代の須磨の関跡だとも説かれている。
須磨の関は、重要な関であったがいずこにあったかというと、諸説まちまちだ。
日本新聞の記者をしていた正岡子規は、1895年に日清戦争の取材を終えて帰国する船の中で持病の肺結核を悪化させて吐血、和田岬にあった県立神戸病院に運び込まれて治療を受ける。
ここで2ヶ月間の入院生活を送った正岡子規は、その後風光明媚な須磨保養院(今の須磨浦病院)へと移って静養を続け、須磨を題材にした句を多く残した。
そのうちの一つ、「読みさして 月が出るなり 須磨の春」の句碑が現光寺の境内に建てられている。
本堂脇の梅は今を盛りと咲き誇っている。
明治天皇の御休息所碑
咲き誇る梅の根元には、ミツマタがきれいな花を咲かせている。
見ざる、言わざる、聞かざるの三猿の像もかわいらしい。
本堂横の通路もきれいに整理されている。
現光寺はお庭の手入れが行き届いていてとても綺麗です。
現光寺へのアクセス、行き方歩き方
住所:神戸市須磨区須磨寺町 1-1-6
電話:078-731-9090
JR「須磨駅」下車、北東へ徒歩6分
山陽電車「須磨駅」下車、北東へ徒歩5分
山陽電車「須磨寺駅」下車、南西へ徒歩4分