奈良時代に天皇の寵愛をうけた采女(後宮で天皇の給仕をする女官の職名)が、天皇の関心が薄れたことを悲観し猿沢池に入水した霊を慰めるために始まったという采女祭。
ここ猿沢の池で仲秋の名月を愛でる日の恒例行事となっている。
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秋晴れの快晴、まさに采女祭にふさわしい好天気となった。
多くの観客が見守る中準備が進められる、いいカメラ位置を確保するには2時間くらい前から準備する必要がある。
18時からの采女神社例祭に続き、19時から花扇を管絃船に移し、雅楽の調べとともに池を2巡します。
管弦舟は2隻あります。
こちらは龍をかたどった「龍頭」。
秋の七草で飾られた2m余りもある「花扇」と、十二単の花扇使などが乗船しています。
ミス郡山、ミス奈良などの乗船した管弦舟。
采女祭(うねめまつり)に参加するため、姉妹都市、郡山市の親善使節団(団長・吉崎賢介副市長)が7日、奈良市入りし、奈良市主催の歓迎会に参加、交流を深めた。
使節団はこのほか高橋隆夫市議会議長、丹治一郎郡山商工会議所会頭、第50代ミスうねめの大河原那央さん、古沢真季さんら17人で構成。
7日から3日間滞在する。
興福寺五重塔がライトアップされる中祭りはクライマックスに達する。
最後に花扇を池に浮かべて采女の霊を鎮め、同時に人々の幸せを祈ります。
平安時代初期の歌物語『大和(やまと)物語』には、采女が入水したことを聞いた「ならの帝」が、猿沢池に行幸したとあります。
その時、後に歌聖と呼ばれる宮廷歌人・柿本人麻呂と帝は、以下のような歌を詠んだとされています。
●柿本人麻呂
「わぎもこが 寝くたれ髪を 猿沢の 池の玉藻(たまも)と 見るぞかなしき」
(意訳:愛した妻の寝乱れた髪が、猿沢池の美しい藻を見ていると思い出されて切ないことだ)
●ならの帝
「猿沢の 池もつらしな わぎもこが 玉藻かづかば 水ぞひなまし」
(意訳:猿沢の池もつれないことだ。愛しい女が美しい藻に沈むのなら、水が乾いてくれればよかったのに)
郡山うねめまつり(こおりやまうねめまつり)は、福島県郡山市にて毎年8月第1金・土・日(2014年は、8月の木・金・土)の3日間行われる祭り。
東北五大祭りの一つに数えられる場合がある。
花扇にはロープがついていて船に引っ張られ岸にたどり着き祭りは終了します。
花扇はこのあと采女神社に飾られ、一般に見学することができます。
この日は中秋の名月、興福寺五重塔とツーショット。
奈良国立博物館と名月、左端には鹿の姿も。
まだまだライトアップのショットが撮りたかったのだが夜も更けて人もまばらになってきました、またの機会にしよう。
采女神社への行き方・歩き方
JR奈良駅から徒歩20分、近鉄奈良駅から徒歩10分
問い合わせ先(社)奈良市観光協会
電話番号0742-22-3900