閑静な住宅街を抜けると、うっそうと茂ったみどりのなかに総門の石段が見えてきます。
左側の石碑にある「圓光大師」とは、浄土宗の開祖・法然上人のこと。
鎌倉時代に生きた法然上人ですが、江戸時代、元禄10年(1697)に初めての大師号(高徳な僧に朝廷から贈られる尊称)が贈られました。
大師号といえば、最澄の「伝教大師」、空海の「弘法大師」が有名ですね。法然上人は、現在までに8つの大師号を下賜され、生前の遺徳を讃えられています。
2019年春、参道に新たな枯山水庭園が作庭されました。
ガラス造形作家・西中千人さんによるガラス枯山水“つながる”。
苔の築山の上に配されているのは、石ではなくリサイクルガラス!
そして苔の島を正面に見るとグリ石が山の方から崩れ落ちているようなデザインもかっこいい。
白砂壇(びゃくさだん)
Byakusadan-Terrace of White Sand
山門を入ると、両側に白い盛り砂がある。
水を表わす砂壇の間を通ることは、心身を清めて浄域に入ることを意味している。
寺の起こりは鎌倉時代に法然が弟子たちと共に六時礼讃行を修した草庵に由来するという。
江戸時代の延宝8年(1680年)に、知恩院の38世である萬無が法然ゆかりの地に念仏道場を建てることを発願し、門弟の忍澂と共に再興したとされる。
元は浄土宗内の独立した一本山であったが、1953年(昭和28年)に浄土宗より独立し、単立宗教法人となる。
境内の拝観は無料であり、6:00から16:00の拝観時間には、自由に境内を参観できる。
写真撮影が目的ならば朝早い時間が望ましい。
地蔵菩薩像
Image of Ksitigarbha (Jizo Bodhisattva)
本堂正面の石段上にある。この尊像は、1690年(元禄3)、忍澂和尚46歳の時、自身と等身大の地蔵菩薩像を鋳造させ、安置されたものである。
本堂の向い側、石段の上に祀られる地蔵菩薩像は「祠の地蔵」と呼ばれ、本堂とほぼ時を同じくして祀られています。
地蔵菩薩の隣に置かれる佛足石も、江戸時代のもの。
境内のそこかしこから、古刹の重みを感じられます。
鎌倉時代初期、法然とその弟子 住蓮・安楽が鹿ヶ谷の草庵で六時礼賛(昼夜に阿弥陀仏を六度拝むこと)を唱えたのに由来するという。
創建からわずか数年後の建永元年(1206)、後鳥羽上皇の行幸中に女官 鈴虫・松虫が住蓮・安楽を慕って出家する事件が起こり、激怒した上皇によって法然は島流しに、弟子の二人は死刑になってしまう。
その後長らく荒廃するが、延宝八年(1680)知恩院 三十八世 萬無(ばんぶ)とその弟子 忍澂(にんちょう)が法然ゆかりの地の念仏道場として再興した。
近くにある安楽寺も同じ草庵に由来する寺院である。
本堂は延宝九年(1681)、講堂は元禄七年(1694)、経蔵は元文二年(1737)の建立でいずれも修築が行われつつも江戸時代のものが現存している。
方丈は貞享四年(1687)に移築したもので、元は文禄四年(1595)に建てられた後西天皇の皇女の御殿である。内部には狩野光信、堂本印象の襖絵が飾られている。
境内には谷崎潤一郎、河上肇ら文豪の墓がある。
5年前の訪問記
三銘椿、春期特別公開 法然院
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