今日から南東北の名城巡りです。
まず仙台藩伊達氏の支城として用いられ、片倉氏が代々居住した白石城からスタートです。
仙台行ANA733便に搭乗、今回は内陸よりの飛行コースをとったため富士を見ることができた。
機内からガラス過ごしの撮影のため鮮明でないのがたまにきず。
九州の八代城などと並んで、江戸幕府の一国一城制の対象外とされて明治維新まで存続した。
別名益岡城(枡岡とも)。
明治維新には戊辰戦争の際、薩長連合に対抗するための奧羽越列藩同盟(三十一藩)の盟約が白石城で結ばれ、公議府が置かれ輪王寺宮が滞城された。
その後、按察府の設置、兵部省兵隊屯所になるなど、日本の歴史の転換期には一役を担う重要な城でした。
二ノ丸大手二ノ門跡
二ノ丸の東に位置し、白石城東側にある奥州街道沿いの大手口から二ノ丸へ通じる門であった。
天守の代用となっていた三階櫓は、支城という格と幕府への配慮から天守の名をはばかり大櫓と名づけられたとされる。
戊辰戦争に敗北すると、明治6年の「廃城令」によって城のほとんどの建物は取り壊されることになります。
家屋敷を失った片倉家の家臣たちは、その後、当時北海道開拓の運搬船となっていた「咸臨丸(かんりんまる)」に乗船し、海を渡りました。
北海道移住の開拓費用に充てるため、白石城 の建物は各方面に払い下げられ、そのわずかな遺構が市内に保存されています。
情報不足の東北諸藩を道連れにしたのはあの容保の会津藩でした。
天守からは片倉小十郎も眺めたであろう雄大な蔵王連峰の姿を望むことができます。
片倉小十郎は政宗公より十歳年上で、政宗公が幼きころより守役を、そして長きにわたって伊達の軍師を務めた。
政宗公に剣術を指南したといわれるほどの剣術の腕前の上に智略に優れ、政宗公の命運を左右する合戦には必ず景綱の姿ありといわれた。
太閤豊臣秀吉公に直臣にと望まれたが、政宗公への忠義を貫き通した。
一国一城令が敷かれる中、特例として残された白石城の城主となり白石の地を治めた。
本丸御殿跡は桜の園です。
かつてはここに御殿が建てられていた。
天守から見た大手一御門・大手二御門。
天守とともに復元され、桝形を構成し、一ノ門を抜けると、進行方向が鍵形に曲がっている。
本丸御殿跡から三階櫓をのぞむ。
本丸二ノ門
櫓門となっている。
これは本丸側から撮影したもの。
「本丸跡外郭東側の石垣は「野面(のづら)積み」という自然石を積み上げたもので、
大きな石の周りを小さい石で囲むように積み上げている。
時代としては安土桃山時代、蒲生郷成が白石城の城代だった頃に築いたとみられる。
市の花「ヤマブキ」がデザインされたマンホール。
真ん中の釣り鐘は市章で、白石城主片倉公の軍旗からきている。
釣り鐘の中に「白」の字がデフォルメされています。
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白石城へのアクセス、行き方歩き方
住所:宮城県白石市益岡町1-16
電話:0224-24-3030
JR東北本線、白石駅下車、徒歩15分。