城は足羽川と吉野川(のちの百間堀)が合流した位置に築かれ、堀の一部に足羽川を使用していたと推定されており、天守は7層(一説には9層)構造で、安土城に匹敵する巨城であったと伝えられている。
以前の訪問記がこちらにあります、併せてお読みいただけますとありがたい。「北の庄城 勝家が築いた幻の名城」
ガレリア元町商店街、駅前電車通りから南へ、駅前みなみ通りの西側を並行して伸びる商店街。
福井城から北ノ庄城へ向かっています、アーケードの垂れ幕もあやかり商法。
柴田神社、鎮座地は勝家の居城であった北ノ庄城の本丸跡地と伝えられており、作られた時代は不明であるが勝家・市を祀る石祠があり、北ノ庄城の跡に築かれた福井城内の神祠として保護されてきた。
明治23年(1890年)、旧福井藩主松平春嶽、旧藩士、住民らの発意により小祠のある場所に神社が作られ、「柴田神社」とした。
北ノ庄城の石垣です、北ノ庄城址・柴田公園のあたりは、柴田勝家の北ノ庄城の天守閣があった場所と伝えられています。
この写真の石列は、柴田勝家の北ノ庄城の石垣遺構で、本来高く積まれていたものが、結城秀康の福井城築城の際に破壊され、根石のみが残ったものと考えられています。
柴田勝家の逸話として「瓶割り柴田」がある。信長と近江守護 六角氏との戦いで、城を守る勝家は六角氏に水路を絶たれ窮地に立たされたが、水の入った瓶を叩き割るパフォーマンスで味方の士気を上げると共に城内に潜むスパイの目をも欺き、見事六角氏を破ったという。
北ノ庄城の堀跡です、福井城の層より下層から発掘された、幅が25メートル以上ある南北に延びる堀跡。
堀の規模から柴田勝家の北ノ庄城の堀と考えられており、写真に写っている石列は堀南面の石垣です。
裏の庭には椿が見事に咲いていました。
福井市のマンホール、福井市のシンボルである不死鳥(フェニックス)のデザイン。
空襲や地震、水害などから不死鳥のごとく復興したことなどから、 不死鳥が福井市民及び福井市のシンボルになっているそうです。
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北の庄城へのアクセス、行き方歩き方
福井県福井市中央1
JR北陸本線、福井駅下車、徒歩5分