有松は池鯉鮒宿と鳴海宿の間宿である。
古い町並みがそのまま残り、江戸時代の風情が味わえる。
歌川 広重の「東海道五十三次」鳴海と有るが、実は有松と言われている。
47番目の鈴鹿の関宿と同じく現在も当時の佇まいが残る。
駐車場の上にあった『竹田庄九朗』の碑、有松絞りの考案者と伝えられている。
有松は名古屋市の南東部に位置する。
東海道53次の宿駅、池鯉鮒宿(知立)と鳴海宿の間に「間の宿」として造られた町だ。
この両宿間は僅かに12kmだが、その間は松林が茂り、人家もなく、追い剥ぎ、強盗などが出た。
尾張藩は旅人の安全を図ろうと、慶長13年(1608)に免税の特権をつけ、移住者を募り間の宿をつくった。
最初の移住者は知多郡阿久比村からきた、竹田庄九郎以下8人であった。
こうして有松は誕生したが、鳴海宿にも近いので、茶屋としてもやっていけず困っていた。
そんなとき名古屋城の築城に豊後国から来ていた人たちが着用していた、絞り染めの着物にヒントを得て竹田庄九郎はさっそく絞りの技法を研究、出身地の阿久比村の木綿を使った絞り染めの手拭を創り出した。
その後、豊後高田藩主の侍医として、名古屋に来ていた三浦玄忠の妻が、豊後絞りの技法を伝えたと云われる。
これが今に伝わる三浦絞り(有松絞り)である。
電柱も電線も地中埋設されて江戸時代の雰囲気!
この有松宿場の南方東西一帯が桶狭間古戦場です。
服部邸は愛知県指定文化財。
井桁屋という名前で絞製品を商っていた。
江戸時代の町屋建造物の、卯建(うだつ)・塗籠造り(ぬりごめづくり)・漆喰虫籠窓(しっくいむしこまど)など、当時の防火建築がみられます。
有松・鳴海絞会館は、伝統工芸品に指定されたこの地独特の絞り文化「有松絞り・鳴海絞り」の保存と発展のために造られ、歴史的工芸的にも価値ある製品や資料の展示実演など幅広く絞りを紹介している。
絞りの体験教室も行われる。
有松・鳴海絞会館では絞の実演も行せれている。
会館に展示されている作品。
京都の歌人、加茂季鷹の句碑が見えます
ありまつ公園の入り口に並べられている絞の図柄。
ありまつ公園に、冷泉為章の和歌の碑があります。
「立ちつづく 常磐のかげを 契りにて 千歳もすまん 有松の里」
名古屋市のマンホールの図柄はあめんぼう。
有松絞をイメージしたマンホールの蓋。
帰途の名護屋湾岸道、夕闇が迫っている。
草津PAではすっかり夕闇に包まれた。