浅井長政の裏切りに合い、絶体絶命の危機に見舞われた織田信長。
京に逃げ帰る道として朽木街道を選択した。
その雰囲気を見ようと紅葉期の朽木を訪れた。
スタートは朽木新本陣。
旧領主・朽木氏の陣屋機能を現代風に復元し、1987年に誕生。
1993年、「道の駅」に指定され、毎週日曜・祝日に開かれる朝市が人気で、多くの観光客で賑わっている。
道の駅朽木本陣の隣りは鯖街道交流館、観光案内などを行っている。
信長に関する情報を得ようとしたが、いまいち熱意が感じられない。
国道367号、前方が小浜方面、工法が京都、私は右手の安曇川から来た。
北川、熊川宿から小浜城のそばを流れるあの北川だ。
関ヶ原の戦い以後、徳川幕府の譜代大名格の待遇を受けた朽木氏が領地内に設けた館舎で、当時は9万3000平方メートルの敷地に本丸・二の丸・三の丸をはじめ、御殿・侍所・剣術道場・馬場・倉庫など戦陣拠点としての諸施設が建っていたといわれています。
残念ながら、明治維新とともにすべての建物が取り壊され、現在は、堀・土居・石垣の一部と2ヵ所の井戸がわずかに残っているだけ。
しかし、近年になって、植物・樹木が植えられ、わら葺きの民家が移築されて史跡公園となっている。
残り柿がポツリと一つ、静かな秋の風情です。
吹く風は結構冷たい、ススキの穂が揺れる、なぜか物悲しい風景。
マンホールのふた、旧村の花「ヤマユリ」、旧村の木「杉」、旧村の鳥「ウグイス」(中央)「くつき」名称入り。
次回はいよいよ朽木氏の庭園跡へと案内します。
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