ただ今7時過ぎ、夕陽丘で地下鉄を降り四天王寺に向かう、以前友達から聞いていた蕎麦屋さん、気になりながらまだいけていない。
今回も時間の都合でアウト。
四天王寺 地蔵堂 北向地蔵
当堂は明治時代に近郷及び境内諸方より集めた有縁無縁の地蔵尊を、中之門を入った南側の小丘に合祀したのが始まりでだとか。
四天王寺でも何かここだけ雰囲気が違う。
四天王寺は、大阪市天王寺区四天王寺にある和宗の総本山の寺院。
聖徳太子建立七大寺の一つとされている。
山号は荒陵山(あらはかさん)、本尊は救世観音である。
四天王寺関連の記事です。
日本仏教の祖とされる「聖徳太子建立の寺」であり、既存の仏教の諸宗派にはこだわらない全仏教的な立場から、1946年(昭和21年)に「和宗」の総本山として独立している。
五重塔 – 現在の塔は1959年(昭和34年)再建の8代目。「六道利救の塔」ともいう。
壁面には山下摩起筆の仏画がある。舎利塔が奉安されている5重目まで階段で上がれるようになっている。
四天王寺に有難い夕陽を拝む
もうすぐお彼岸です、ここ四天王寺ではお彼岸に西の海に沈む夕陽を拝して、西方極楽浄 … 続きを読む →
義経鎧掛け松
兄頼朝と不仲となり、都を落ちて大物浦(だいもつのうら・摂津国)から西国へ向かったが、難破して行方をくらませた。
伝説によると、和泉国に流れ着いた義経は、吉野山に逃れる途中で四天王寺に立ち寄り、松の木に鎧を掛けたのだという。
その後、義経は、長い逃亡生活を送り、奥州平泉の藤原秀衡の許に落ち延びたが、秀衡死後の1189年(文治5年)閏4月30日、秀衡の跡を継いだ泰衡に衣川館を襲撃されて最期を遂げている。
義経関連の記事をまとめました。
聖徳太子を祀る聖霊院(太子殿)には猫の門と虎の門の2つの門があり、それぞれの門にはネコとトラの彫刻があります。
「虎の門」のトラは悪いものが入ってこないように番をしており、「猫の門」のネコは聖霊院にある経堂のお経がネズミにかじられないように見張り番をしているのだとか。
熊野権現礼拝石
四天王寺縁起』に四天王寺の西門は、極楽浄土の東門(とうもん)に通じていると書かれていたことから、ここから西方を望むと極楽浄土に導かれるという信仰が生まれ、藤原道長・頼通をはじめ鳥羽上皇・後白河上皇・公卿らの参詣が相次ぎ、源頼朝も東大寺再建供養のため上洛の折、大勢のお供を連れて参拝しています。
丹後局が所有する船を借り、鳥羽津(草津湊)より船出して渡辺津で上陸し、そこから車に乗り、陸路をたどって四天王寺へ参詣。
隋兵以下、供奉の人々は騎馬であったという。
(『吾妻鏡』建久6年(1195)5月20日条)
実在した人物が霊験者として魔除けとなった「角大師(つのだいし)」が注目されている。
この人物は「正月三日」が命日。それゆえに「元三大師(がんざんだいし)」と呼ばれる。
いったい何者なのか……。
京都の町家や滋賀県大津・坂本の民家の軒先で、やせ細った夜叉(やしゃ)の姿が描かれた護符をよく見かける。
目はくりっとして愛らしい。
これが角大師(つのだいし)。
平安時代に活躍した僧、良源(912~985)のことだ。
魔を滅する魔滅(まめ)大師=豆大師とも呼ばれ、様々な伝説があるという。
良源は912年(延喜12年)近江国浅井郡虎姫(現・滋賀県長浜市)に生まれ、宇多天皇の御落胤(私生児)とも、菅原道真ゆかりの子であるとも伝わる。
良源は、12歳で比叡山に登り修行、17歳で受戒、55歳の時に第18代天台座主となった。
天皇家や摂関家の帰依を受け、985(寛和2)年1月3日、74歳で没した
安政地震津波の碑
安政の大地震とは、ちょうどペリー来航の頃の江戸時代後期の安政年間、安政元年(1854)11月4日・5日の両日に相次いで発生した「安政東海地震」と「安政南海地震」のことを指すのだそうで、その時に津波が発生し、大勢の命が奪われたといいます。
安治川、木津川の河口から侵入した津波は道頓堀や長堀、土佐堀などに入り込み、安治川橋、亀井橋、高橋、水分橋、黒金橋、日吉橋、汐見橋、幸橋、住吉橋、金屋橋などの橋は全て崩れ落ちてしまったのだとか…。
堀越神社、聖徳太子が四天王寺を創建した際、崇峻天皇を祭神として風光明媚な茶臼山の地に社殿を造営したのが最初と伝わり、四天王寺七宮の一つに数えられる。
かつて創建当初から明治時代中ごろまで境内の南沿いに堀があり、この堀を渡って参詣したことが社名の由来だとされている。
古くから「一生に一度の願いを聞いてくださる」と、尊崇を集めている。
境内にある熊野第一王子之宮は、もとは熊野九十九王子の第一王子・窪津王子である。
窪津王子(くぼつおうじ)は、熊野九十九王子の1番目。
八軒家船着場のすぐ近く、大阪府大阪市中央区天満橋付近にあった。
現在その跡には坐摩神社行宮が建っている。
また大阪市天王寺区堀越町の堀越神社の摂社・「熊野第一王子社」に合祀されている。
熊野御幸記を歩くに藤白神社までの道中をまとめています。
ソロソロお腹が空いた、南へ向かう。
「あべちか」自粛要請が出ていることであり、地下街もひっそりとしている。
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