日本六古窯の一つ備前焼の街 伊部散策

地域


独特の土味で落ち着いた風格のある備前焼が、ところせましと陳列されたショップやレンガ造りの煙突、土塀をめぐらした家並みに往時をしのぶものがあります。

伊部町(いんべちょう)は、かつて岡山県南東部(備前地域)に存在していた和気郡の町。

1951年、片上町と合併して備前町となったため地方自治体としては消滅した。

伊部駅のフロアまでが備前焼です。

備前焼は、土を感じる茶褐色の落ち着いた佇まいが魅力。

成形した器の表面に塗る「釉薬(ゆうやく)」を全く使わないのが特徴。

絶妙な凹凸感が味わい深く、手に持ったときに土の温かみを感じます。

「ハルカの陶」、週刊漫画TIMES(芳文社)にて連載され、第13回岡山<芸術文化賞功労賞>を受賞した同名コミックが実写映画化された、伊部の街がロケ地なのだ。

重要無形文化財保持者や備前焼陶友会による全面協力のもと、本物の窯を使った迫力ある窯焚きの映像を織り交ぜながら備前焼の魅力と、その土地に生きる人々の夢と情熱を描く。

未来への展望も情熱も失い、日々を無為に過ごすOL小山はるか25歳。彼女はある日、上司に連れられたデパートの陶芸展で備前焼の赤牡丹大皿を目にして感銘を受ける。

はるかは、そのえもいわれぬ精神的衝撃に浮かされるまま、その場で上司に退職を申し出て岡山県和気郡備前町(現在の備前市伊部)へと直行する。
はるかはそこで大皿の作者、若竹修と出会う。

若竹に弟子入りを願うはるかだったが、若竹は「すぐに会社を辞めるヤツ」「働くだけの毎日に空しさを感じて自分探しをするヤツ」には付き合ってられないとにべもない。

しかし、はるかは若竹に必死につきまとい、結果、見習いではあるが弟子として彼の元で働くこととなる。

まともな作品を作り上げる基礎の基礎を人並みにこなすまですら「土練り3年、ロクロ6年」と言われる備前焼。
その果てしない備前陶の道に、はるかが挑む。

ハルカの陶」予告編
―備前焼の重要無形文化財保持者や備前焼陶友会による全面協力のもと、本物の窯を使った迫力ある窯焚きの映像を織り交ぜながら備前焼の魅力と、その土地に生きる人々の夢と情熱を描く―。(HPより)

伊部駅から徒歩約2分の場所にある、備前焼の老舗窯元「桃蹊堂(とうけいどう)」。

赤レンガの煙突が目印です。

作品の展示販売や登り窯の見学ができる、器好きにたまらない場所。

土の質感をいかした味わいのある作品は、食器や花器、アクセサリーなど豊富なラインナップが揃います。

伝統的な焼成方法を守りつつ、現代に合わせたデザインで普段使いしやすいのが魅力です。

映画では「本で見た備前焼の街にいることを肌で感じながら歩くはるか。」の姿が・・・・・

歩道の石畳も備前焼。

備前市南部から瀬戸内市、岡山市内には古墳時代から平安時代にかけての須恵器窯跡が点在し「邑久古窯跡群」と呼ばれている。

この須恵器が現在の備前焼に発展したといわれている。

「邑久古窯跡群」で最初に築かれた窯は瀬戸内市長船町の木鍋山窯跡(六世紀中頃)で、七世紀後半~八世紀初頭になると瀬戸内市牛窓町の寒風古窯跡群周辺から瀬戸内市邑久町尻海周辺に窯が築かれる。

八世紀になると備前市佐山に窯が築かれ始め十二世紀になると伊部地区に窯が本格的に築かれ始め独自の発展へと進んでいった。

木村興楽園

備前焼窯元六姓木村家の総本家

初代木村長十郎は、1675年に岡山池田藩に選ばれた筆頭御細工人で、以後代々長十郎を襲名する。

現当主は、十六代木村長十郎友敬(木村茂夫)で、2018年に襲名し、長男邦夫と共に作陶している。

映画では「ショーウィンドウに飾られた備前焼を眺めるとワクワクが止まらない。」はるかの姿が・・・・・

鎌倉時代初期には還元焔焼成による焼き締め陶が焼かれる。

鎌倉時代後期には酸化焔焼成による現在の茶褐色の陶器が焼かれる。

当時の主力は水瓶や擂鉢など実用本位のものであり、「落としても壊れない」と評判が良かった。

この当時の作品は「古備前」と呼ばれ珍重される。

室町時代から桃山時代にかけて茶道の発展とともに茶陶としての人気が高まるが、江戸時代には茶道の衰退とともに衰える(安価で大量生産が可能な磁器の登場も原因)。

備前焼は再び水瓶や擂鉢、酒徳利など実用品の生産に戻っている。
この当時のものは近郷の旧家にかなりの数が残されている。

天津神社

伊部の人気観光スポットがこちら。

神主さんが備前焼の作家さんということもあって、狛犬から参道のタイル、屋根瓦まで境内のいたるところに備前焼が使われている珍しい神社です。

関ヶ原の戦いの21年前の1579年から続く、備前焼ゆかりの神社として広く知られており、狛犬、参道、屋根瓦にいたるまですべて備前焼。

周囲をかこむ塀には備前焼作家の陶印が入った備前焼が埋め込まれており、その鮮やかな美しさたるや備前焼ファンならずとも目を引かれます。

「ハルカの陶」にも登場します。

明治・大正に入ってもその傾向は変わらなかったが、昭和に入り金重陶陽らが桃山陶への回帰をはかり芸術性を高めて人気を復興させる。

陶陽は重要無形文化財「備前焼」の保持者(いわゆる人間国宝)に認定され、弟子達の中からも人間国宝を輩出し、備前焼の人気は不動のものとなった。

第二次世界大戦時には、金属不足のため、備前焼による手榴弾が試作されたこともあるが、実戦投入はされなかった。

2017年4月29日、備前焼は越前焼(福井県越前町)、瀬戸焼(愛知県瀬戸市)、常滑焼(愛知県常滑市)、信楽焼(滋賀県甲賀市)、丹波立杭焼(兵庫県丹波篠山市)とともに、日本六古窯として日本遺産に認定された(日本六古窯 公式Webサイト)。

釉薬を一切使わず「酸化焔焼成」によって堅く締められた赤みの強い味わいや、「窯変」によって生み出される一つとして同じものがない模様が特徴。

現在は茶器・酒器・皿などが多く生産されている。

「使い込むほどに味が出る」と言われ、派手さはないが飽きがこないのが特色である。

下水道 マンホールの蓋

「天津(あまつ)神社」の備前焼でできた狛犬と、 備前市の市章、「備前焼のふる里」の文字入りです。

備前市伊部にある天津神社は、参道や狛犬、いたるところに備前焼が使われていました。

備前焼の魅力である茶褐色の地肌は、「田土(ひよせ)」と呼ばれるたんぼの底(5m以上掘る場合もある)から掘り起こした土と、山土・黒土を混ぜ合わせた鉄分を多く含む土とを焼くことによって現れる。

土の配合にもある程度比率が存在するが、各々の土を寝かす期間も存在し、出土する場所によっても成分が違ってくる。よって、作るには熟練の技が問われてくる。なお、人間国宝の一人である金重陶陽は10年寝かせた土を使っていたとされる。

土の配合にもある程度比率が存在するが、各々の土を寝かす期間も存在し、出土する場所によっても成分が違ってくる。

よって、作るには熟練の技が問われてくる。

なお、人間国宝の一人である金重陶陽は10年寝かせた土を使っていたとされる。

備前焼の七不思議

投げても割れぬ、備前すり鉢
備前焼は、釉薬をかけず裸のまま、約2週間前後1200度以上の高温で焼き締めるため、強度が他の焼き物に比べると高いレベルにあります。 それがゆえに、「投げても割れぬ・・・・」と言われるようになりました。

冷たいビール、温かいお茶
備前焼は内部が緻密な組織をしているために比熱が大きくなります。 そのため保温力が強く熱しにくく、冷めにくくなります。

きめ細かな泡で、うまいビール
備前焼には繊細な凸凹があり発泡能力が高いことから、 泡はきめ細かく泡の寿命が長いことからより美味しく飲むことができます。

長時間おくと、うまい酒に
備前焼の内部に微細な気孔があるため、若干の微細な通気性が生じます。 これにより、酒、ウイスキー、ワインの香りが高くまろやかで、こくのある味に変身を促します。

うまい料理が食せる
備前焼は、他の焼き物に比べ表面の小さい凸凹が多いため、 食物が皿肌に密着しないので取りやすく、又水分の蒸発力が弱いので乾燥を防ぎます。

花瓶の花が長もち
備前焼には微細な気孔と若干の通気性があるため、長時間生きた水の状態が保たれ花が長もちします。

使うことで、落ち着いた肌ざわり
備前焼の表面の微細な凸凹が、より使い込むことにより角が段々と取れ、使えば使うほど落ちついた味わいを増します。
※ 感じ方には個人差があります。出典(協同組合岡山県備前焼陶友会)

不老川に架かる橋のそば、備前焼で作られたお地蔵さんが・・・・

伊部の住宅地の間を流れている川です。

映画・ハルカの陶にも登場しており、とても美しい風景です。

そしてこの川は水量が少ない時は下に降りて散策出来ます。

「ハルカの陶」の1シーン。

ほろ酔いで歩く陶人とはるか。修の態度に納得のいかないはるかは、陶人に修の過去を訊いてしまう。

伊部の街を歩くと四角い煙突が何本も建っています。

この煙突も備前焼なんです。

今回見逃したところが多々あり、日を改めて訪れてみたい。

関連記事


≪バスツアー/テーマのある旅特集≫クラブツーリズムお勧めツアーこちら!