その規模は大大名なみの規模で、金沢市の前田藩墓地、萩市の毛利藩墓地とともに日本三大墓地の一つとも言われている。
対馬府中藩宗氏の菩提寺であり、歴代藩主の墓所は、国の史跡に指定。
境内の大スギは樹齢1200年といわれ、長崎県指定天然記念物となっている。
その後数度の火災により焼失したため今の本堂は明治12年(1879年)に建造されたもの。
安土桃山式の山門と仁王像は焼失から免れた対馬最古の建物。
仁王像は対馬最古。
創建当初は臨済宗寺院で松音寺と号したが、1622年(元和8年)、宗義智の法号に因んで万松院と改めた。
1635年(寛永12年)、慈性大僧正の勧めにより、臨済宗から天台宗に改宗する。
正保4年(1647年)、山麓を切り拓いて現在の寺地に移った。
堂内の様子。
朝鮮国より贈られた青銅製の祭礼用三具足(みつぐそく、鶴亀の燭台と香炉、花瓶の3点)。
徳川歴代将軍の位牌(本物とまったく同じ複製)。
この巨大な墓地や徳川歴代将軍の位牌などは朝鮮国から軽く見られないための政策的な意味もあったのだろう。
本堂付近にある諫鼓(かんこ)。
古代中国で、天子をいさめようとする者に打ちならさせるため、朝廷門外に設けたという鼓。
中国の伝説上の聖天子堯、舜、禹が、その施政について諌言しようとする人民に打ち鳴らさせるために、朝廷の門外に太鼓を設けた。
これを諌鼓(かんこ)と呼ぶ。
しかし、善政を行ったので太鼓は鳴ることもなく永年の間に苔むし、鶏の格好の遊び場となっていたといいます。
つまり諌鼓に鶏が止まっているのは善政が行われて世の中がうまく治まっているということで、まさに「天下泰平の象徴」であると言われています。
本堂北側の石橋と小川。
この先に墓所へ続く石段がある。
百雁木(ひゃくがんぎ)と称する132段の石段。
登りきった所に宗家の墓所である御霊屋(おたまや)がある。
この石段を上った場所に宗家10代~32代までの墓所である御霊屋(おたまや)があり、巨大な墓がずらりと荘厳な雰囲気のなか立ち並んでいます。
下御霊屋には一族などの墓が、中御霊屋には10代貞国などの墓がある。
樹齢1200年と言われる大スギ。
上御霊屋に19代義智から32代義和までの歴代藩主と正夫人の墓がある。
「魏志倭人伝」には、3世紀頃の対馬の様子がこのように記されている。
居るところは絶海の孤島で、広さは四百里四方くらい。土地は山が険しく、深い森が多く、道はけもの径のようである。島には千余りの家があるが良田はなく、海産物を食べて自活している。船にのり、南や北の地と交易して生計をたてている。
百雁木を下りながら宗家歴代の労苦を偲んだ。
現在宗家の末裔は島内にはいないそうだ。
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長崎県対馬市厳原町厳原西里192
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