緑濃いこの参道、紅葉期には真っ赤に染まる。
全国に約2,000社ある日吉・日枝・山王神社の総本社。
通称として山王権現とも呼ばれる。
猿を神の使いとする。
西本宮と東本宮を中心とする400,000m2の境内は国の史跡に指定される。
社名の「日吉」はかつては「ひえ」と読んだが、第二次世界大戦後は「ひよし」を正式の読みとしている。
大宮川、大宮橋から木漏れ日の川を見る。
見上げれば陽に透かしたしたシダの葉が美しい。
山王鳥居の特徴は明神鳥居の上部に三角形の破風(屋根)が乗った形をしていて、仏教の胎臓界・金剛界と神道の合一を表しているとされる。
山王信仰の象徴であるため、山王鳥居と呼ばれている。
山王信仰とは、最澄が比叡山に天台宗を開いた折、唐の天台山の守護神「山王元弼真君(さんのうげんひつしんくん)」にちなみ、既に比叡山の守護神としてご鎮座されていた日吉大神を「山王権現」と称する、神仏習合の信仰。
独特の鳥居である事から、分霊社の中にはこの鳥居を模して建立する例も少なくない。
東本宮は、本来、牛尾山(八王子山)山頂の磐座を挟んだ2社(牛尾神社・三宮神社)のうち、牛尾神社の里宮として、崇神天皇7年に創祀されたものとも伝えられている。
一段上の宇佐宮を目指す。
白山宮の境内に祀られている神々。
そもそも猿は全国に生息しているが、何故か古来より日吉といえば猿といわれ、いつの頃からか魔除けの象徴として大切に扱われるようになった。
「まさる」は「魔が去る」「勝る」に通じ、大変縁起のよいお猿。
元亀2年(1571年)、織田信長の比叡山焼き討ちにより日吉大社も灰燼に帰した。
現在見られる建造物は安土桃山時代以降、天正14年(1586年)から再建されたもの。
信長の死後、豊臣秀吉と徳川家康は山王信仰が篤く、特に秀吉は、当社の復興に尽力した。
これは、秀吉の幼名を「日吉丸」といい、あだ名が「猿」であることから、当社を特別な神社と考えたため。
西本宮 本殿(国宝)
西本宮の祭神・大己貴神については、近江京遷都の翌年である天智天皇7年、大津京鎮護のため大神神社の神が勧請されたという。
以降、元々の神である大山咋神よりも大己貴神の方が上位とみなされるようになり、「大宮」と呼ばれた。
今日のお昼は創業三百余年の鶴喜そば。
関連記事