恋の宮 金ケ崎宮

北陸


当地にあった金ヶ崎城址の麓にある。
恒良親王と尊良親王を祭神とする。
建武中興十五社の一社で、旧社格は官幣中社。

年末まであとわずだか、こんなきれいな紅葉が。

花換の小径を進むときれいな夕日。

明治時代、金崎宮へ桜見物に訪れた男女が「花換えましょう」と声をかけあい、桜の小枝を交換することで思いを伝えたそうです。

「花換え」をしたカップルは将来幸せに恵まれるといわれ、いつしか金崎宮は「恋の宮」と呼ばれるようになりました。
今でも桜の季節のみならず良縁を願う若者が大勢訪れています。

金ケ崎城跡を根ざす、左手には敦賀湾が、苫小牧行きのフェリーも見えている。

標高86mの金ヶ崎城跡、眺望が良い。天候がよければ遠く越前海岸まで見える。

戦国武将は皆、この地をターニングポイントにした。

敦賀湾を一望する小高い山、そこに『金ヶ崎城跡』がある。
延元元年(1336年)恒良、尊良両親王を守護した新田義貞が足利軍と戦った古戦場。

戦いは激しさを極め、尊良親王ら300人は籠城から半年後、城に火を放ち自害。
中腹の金崎宮には、その両親王が祀られている。

また、この地には戦国時代の「つはものども」の気迫を今に伝える、数々の逸話も残っている。

―時は元亀元(1570)年4月。朝倉義景討伐を企てた織田信長が越前に攻め入ろうとしたその時、近江浅井氏裏切りの報が。

窮地に陥った信長だったが、金ヶ崎城でしんがりを努めた木下籐吉郎(豊臣秀吉)の活躍で、無事帰京できたという― 姉川の合戦で、浅井・朝倉連合軍を敗った信長。

そして、その信を受け天下取りの道を進んだ秀吉。
さらに、秀吉のしんがりを助け、後に謝意を受けた徳川家康…金ヶ崎城をめぐる出来事は、それぞれの武将にとって天下取りへの転換点となっている。

落日が迫っている、慌てて下山するも間に合わず、樹間から残照。

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金ケ崎宮へのアクセス、行き方歩き方

金ケ崎宮公式サイト

福井県敦賀市金ヶ崎町1-4

JR北陸本線敦賀駅からぐるっと敦賀周遊バスで8分、金ヶ先緑地下車すぐ