車折神社は京都の金運・商売繁盛・良縁・厄除け祈願の神社(パワースポット)
本殿はご祭神・清原頼業公をお祀りする建物で、宝暦2年(1752年)に造営され、入母屋造・銅板葺総檜造の建築。
鎮守の森の中、車折神社、阿吽の狛犬ならぬ阿阿の狛犬が。
裏参道より本殿入口付近、石鳥居の脇に境内社・「清めの社」があります。
清めの社のご神力(パワー)により、車折神社の境内全体(敷地)は「悪運・悪因縁の浄化」「厄災消除」のご神力が充満しており、全国各地より大勢の方が、厄除け・八方除けのご祈祷を受けに来社。
また、清めの社の円錐形の立砂は石をモチーフにしており、車折神社が石(パワーストーン:祈念神石)との関わりが深いことを物語っています。
社名の「車折」については、ある人が牛車に乗ったまま社前を通った所、突然車が裂けてしまったためとも、後嵯峨天皇の大堰川遊幸の際、社前で突然車が前に進まなくなったので、不思議に思って社の者に問うた所、頼業公を祀ると答えがあったので、還御の後に「車折大明神」の神号と正一位の神階を贈ったためともいう。
車折神社は、平安時代後期に実在した儒学者の清原頼業(きよはらよりなり)公をご祭神としておまつりしています
5月には嵐山の大堰(おおい)川で、「三船祭」が行われます。
お祭りには20数隻の船が登場し、平安時代の船遊びが再現され、たくさんの見物客で賑わいます。
なお、近代日本画の巨匠・富岡鉄斎が車折神社の宮司を任めていた関係から鉄斎作品約100点が伝わり春秋に公開している。
願い事を叶える石~祈念神石(きねんしんせき)~神社の本殿には、石がたくさん奉納されています。
よく見てみると、なんとお礼の言葉がたくさん刻まれています。
これは「祈念神石(きねんしんせき)」と呼ばれる石。
願い事のある人は神社の社務所で祈念神石を授かり、本殿にて願い事を強く念じ、その石を家に持ち帰ります。
願い事が叶えば、家や近くの山や川、海などから石をひとつ拾い、その石にお礼の言葉や祈願の内容を刻み、授かった祈念神石とともに神社に返納するならわしがあります。
手水舎
芸能人が訪れる車折神社 ~境内末社 芸能神社~
車折神社は、芸能人よく訪れる神社としても有名。
これは境内に「芸能神社」という末社があるためで、その名の通り、芸能にご利益のある社です。
ご祭神として、「天宇受売命(あまのうずめのみこと)」という女性の神様がまつられています。
日本神話によると、天照大御神(あまてらすのおおみかみ)が岩戸に隠れてしまい、この世が真っ暗になった時、岩戸の前で舞を演じたのがこの天宇受売命で、その演舞に惹かれた天照大御神が岩戸から出てこられ、この世に光が戻ったといわれています。
そのことから、天宇受売命は芸能の祖神といわれており、芸の上達を願う人達が訪れるようになったようです。
撮影所が近くにあることからか、芸能人の信仰も厚く、周りの朱色の玉垣には芸能人の名前が連なっている。
柱や壁など、所狭しと映画やテレビで活躍している芸能人の写真が貼られている。
水神社、祭神は「罔象女神」(みずはのめのかみ) かつて大堰川(桂川)は、現在の境内の付近まで流れがあったという。
この地は清原氏の領地となっていた。
洪水の災害が起きると、官吏である清原氏は、復旧工事のために氏人を選び、工事の監督を命じていたという。
松尾大社付近、桂川の堤罧原堤(ふしはらつつみ)は、清原氏により築かれ、清原氏分家の伏原家の家領に分譲された。
社は、室町時代、1473年まで境内に祀られていた。
その後、境内にある末社・滄海神社に合祀された。
1962年、現在地に社殿が建立されている。
かつては、毎朝、この祠下にある浄水井から水を汲み、法寿殿(車折大神)にお供えしていたという。
5月14日の例祭においては、三船祭斎行の奉告、水上行事の安全が祈願される。
水と関係するということか、水商売関係の奉納が多くみられ、ほほえましい。
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車折神社への行き方・歩き方
京都市右京区嵯峨朝日町23
電話075-861-0039
・JR嵯峨野線「嵯峨嵐山駅」徒歩10分
・京福電車「車折駅」→すぐ
・市バス71・72・73・75系統「車折神社」→すぐ