いいですね~、空いている天龍寺。
新緑のもみじを通して北山~東山を借景にし、澄んだ空の時は比叡山を遠望できる。
門を入って左手には嵐山の緑を臨むことができる。
美しい山々に囲まれ、その中を大堰川が流れる嵐山の地は、天下の名勝として名高い。
その中心である渡月橋から北へまっすぐすすんでいくと天龍寺にでる。
サギがゆっくりと舞う姿が見られた。
長い参道の行き着いたところに「庫裏」がある。
ここが諸堂への参拝入口になっている。
この「庫裏」の左側(南側)が本堂に当たる「大方丈」である。
拝観は庫裡から大方丈、書院から多宝塔までの本堂参拝と、曹源池を中心としたお庭巡りの二つとなっている。
セットで拝観すると600円で拝観でき、目線を変えて特別名勝のお庭を眺められる。
庫裡へ入ると大きな達磨図が迎えてくれる。
方丈の襖絵に若狭物外が描いた雲龍は前にある曹源池に今まさに入らんとするが如き迫力を見せている。
ガラスで保護してあるのが残念だが、映った人影を睨みつけているようだ。
天龍寺(てんりゅうじ)は、京都府京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町(すすきのばばちょう)にある、臨済宗天龍寺派大本山の寺院。
山号は霊亀山(れいぎざん)。
寺号は詳しくは天龍資聖禅寺(てんりゅうしせいぜんじ)と称する。
本尊は釈迦如来、開基(創立者)は足利尊氏、開山(初代住職)は夢窓疎石である。
足利将軍家と桓武天皇ゆかりの禅寺として壮大な規模と高い格式を誇り、京都五山の第一位とされてきた。
「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されている。
名勝嵐山や渡月橋、天龍寺の西側に広がる亀山公園などもかつては境内地であった。
この地はその昔、檀林皇后と称された嵯峨天皇の皇后橘嘉智子が開創した禅寺・檀林寺の跡地で、檀林寺が廃絶した後、後嵯峨上皇が仙洞御所を造営し、さらに亀山上皇が仮の御所を営んだ。
室町時代の五山十刹の第一に列せられる大寺院であったが応仁の乱以降衰え幕末には長州藩により伽藍を焼き払われ、現在の堂は明治以降の再建。
庭園 – 曹源池(そうげんち)を中心とした池泉回遊式庭園で、夢窓疎石の作庭。
池に浮かぶ鶴島、亀島、三連の石橋、龍門瀑など自然の造形も見事である。
なお塔頭の松巌寺、慈済院、弘源寺の3か寺は元治の兵火を逃れたため、室町様式あるいは徳川期のものが残る。
「大方丈」から見て曹源池奥の山際に左の写真に見られるような「龍門瀑」と呼ばれている石組みがある。
この石組みは遠山渓谷を表し、渓流が池に流れ落ちる場所に大きな石を置いて滝の水の落ちるさまを表現し、これに鯉魚石を配して鯉の滝登りの様子を表しているという。
多宝塔への渡り廊下の右側に祥雲閣(しょううんかく)、甘雨亭(かんうてい)の茶室があり茶室へ向かう道は大堰川を模した庭園となっている。
祥雲閣(しょううんかく)はにある茶室「残月亭」を写したもの。
甘雨亭(かんうてい)は4畳半台目の茶室で、通い口前に三角形の鱗板をつける。
「大方丈」から見てかなり離れた北西の方向に「多宝殿」が建てられている。
「多宝殿」へは「大方丈」、「書院」の廊下から渡り廊下を通して行くことができる。
申し込めば写経体験もできる。
多宝殿の襖絵。
池の畔には、アヤメが咲いていました。
庭園の至る所に、こうした季節の花が咲いているのも天龍寺ならではです。
望郷の丘の斜面にはシャクナゲの花がきれいに咲き誇っていた。
平和観音と愛の泉
中国より伝来した「平和観音」。
観音像の前の涌き水は地下80mのから涌き出る霊泉。
これを喫する者は愛と幸を受けると伝えられることから「愛の泉」と呼ばれる。
その観音様を守るカエル。
この泉の中央には、願いの成就を競うかのようにお皿が置かれて、そこに賽銭を投げ入れるようになってます。
「多宝殿」の北側の庭園の中に置かれている大きな「硯石」であるが、説明によれば、この「硯石」は明治32年に龍を描いた画伯と当時の管長とを偲ぶために残されていると書かれている。
この「硯石」を拝すると書道が上達すると伝えられ、全国から多数の人々が参拝に訪れるという。
新緑の中にそびえる多宝塔。
百花苑の丘の上まで行くと、目の前にこの屋根が目に入ります。
京都市内も一望できます。
裏手に回ると、よく手入れされた竹林が広がっています。
竹とモミジの新緑のコラボレーションもなかなかのものでしょう。
北門を抜けると嵯峨野の竹林。
野宮神社はすぐそこです。
天龍寺へのアクセス、行き方歩き方
住所:京都府京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町68
拝観時間:8:30~17:30(冬季10月21日~3月20日は17:00)
拝観料金:庭園 大人・高校生500円、中学生300円、本堂100円
JR嵯峨野線「嵯峨嵐山」駅下車歩いて10分
阪急/嵐山駅より徒歩約15分