小督局悲恋の地 清閑寺

京都府

歌の中山清閑寺、和歌や古典文学に名高い清閑寺は由緒ある寺で延暦21年(802)に天台宗の寺として創建されました。
高倉天皇の寵愛を受けた小督局(こごうのつぼね)がここで尼となったと伝え、山門を入ったところに、その供養塔がある。

六条天皇稜・高倉天皇陵 (清閑寺稜)の正面。
この近くに小督局の塚があるとされるが、行くことはできない。

平家物語に登場する小督局(こごうつぼね)は清盛の娘が中宮となった高倉天皇の寵愛を受けていたので平清盛に追われてこの寺で尼にさせられました。
天皇は「死んだら小督局のいる清閑寺に葬ってくれ」と遺言され、養和元年(1181)没後、葬儀がこの寺で行われ、遺言通り埋葬された。

天皇陵右手の石段の上に清閑寺がある。
清閑寺 (せいかんじ)は、「歌の中山寺」ともいわれ、この歌の中山とは、清水寺から清閑寺にいたる山路をいう。

歌の中山は,清閑寺の寺伝に「見るにだにまよふ心のはかなくてまことの道をいかでしるべき」という歌が詠まれている。
謡曲「融」に「語りも尽くさじ言の葉の,歌の中山清閑寺,今熊野とはあれぞかし」と歌の中山と清閑寺は対でよばれることが多い。

清水寺まで来たならぜひ清閑寺まで足を伸ばして欲しい。
特に秋の紅葉は穴場。
清水寺から清閑寺へ向かう杉並木の山道は、紅葉の名所。
入口においてある集金箱に志納金を納める。

山門を潜った正面に小督局の宝筺院塔。
小督は美貌の持ち主で、箏の名手でもあったという。

高倉天皇の寵愛を受け、坊門院範子内親王を出産した。
だが、天皇の中宮・建礼門院徳子の父・平清盛に追われ、この寺で出家させられた。
その後、嵯峨に身を隠し、21歳の若さでこの寺で亡くなったという。

高倉天皇に寵愛された事で小督局は平清盛の怒りを恐れ、宮中を出て
嵯峨野の奥に隠れ住んでいた。
悲嘆にくれる高倉天皇天皇は、密かに源仲国に小督を秘密裏に宮中に呼び戻すよう勅を下した。

中秋の名月の夜、嵯峨野へ箏の音を頼りに仲国は小督探しに行く。
これは、謡曲「小督」のお話。
その後、宮中に戻った小督は、恐れていた通り清盛の怒りに触れ高倉天皇の第二皇女を出産後、この寺で清盛に強制的に出家させられた。

高倉天皇の嘆きは深く、「自分が死んだら小督のいる清閑寺へ葬ってくれ」と遺言を
残し崩御された。
葬儀は、ここ清閑寺で行われ、遺言通りご遺体もここへ葬られた。
お寺の後ろには、高倉天皇陵があり小督のお墓も傍にある。

要石(かなめいし)
この位置から扇を開くように京都市街が望め、扇の要の位置に当たることから「要石」と称される。
山科方面から京都に出入りする時にこの付近を通ることから名所になっていたといわれる。
この石に願いを掛けると叶うといわれる。
まさに京都市中が扇形に見えます。
清閑寺焼に扇面や扇形の器が多いのはこの素晴らしい景色を器に取り入れているからだと言われている。

小督は京都の都が一望できる「要石」の辺りに立ち宮中の日々を懐かしんでいたと伝えられている。

洋画家、黒田清輝の名作、昔がたりができた由来が記された立て看板。
昔がたりの着想をえたのは帰国直後の京都旅行で、清水寺附近を散策していて高倉天皇陵のほとりで清閑寺に立ちより、寺の僧が語った小督悲恋の物語を聞いたとき、黒田は現実から離脱するような不思議な感動におそわれたと書かれている。

鐘楼の後方に茶室「郭公亭」(かっこうてい)があった。
茶室「郭公亭」(かっこうてい)は、幕末1858年、清水寺成就院住持で尊皇攘夷派の月照(げっしょう、1813-1858)が、政治家・軍人の西郷隆盛(1828-1877)と密会した場所として知られていた。

当時、上人は安政の大獄(1858)で追われており、ここで上人の都落ちの計画がたてられたという。
二人は京都を脱出する。
上人は、薩摩の錦江湾に入水、西郷は城山で自害している。
上人の墓は清水寺にもある。
茶室は1991年に解体されている。

菅原道真が作った本尊十一面観音像を安置する本堂。
室町幕府成立のころは寺域も広く、東山山中に威容を誇っていたが、応仁の乱で戦火の巷となり、荒廃した。
慶長年中(1596-1615)、時の住職は再興を図り、根来山の性盛法師が要請を受け入れ復興に努めたが、往昔の盛観を復することはできなかった。
現在の本堂はその時建造されたもの。
明治維新とともに寺領を失い寺地の大部分は上地となり、著しく衰運に向かったが、昭和初期に境内整備が行われ、現在に至る。

清閑寺窯
この地は清閑寺焼に限らず、京都の緒窯にとっても大事な場所で清閑寺焼から清水焼が生まれ、続いて粟田焼が生まれたと言われている。
また清閑寺焼の住僧、宋伯は名工野々村仁清の師であった。

与謝野鉄幹の父・礼巌(1823-1898)は、妻を亡くした冬に、この寺に隠棲している。
年を経て 世にすてられし 身の幸は 人なき山の 花を見るかな

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清閑寺へのアクセス、行き方歩き方
住所:京都市東山区清閑寺歌の中山町3 (清閑寺山ノ内町)
電話:075-561-7292
京阪バス 清閑寺山ノ内町 徒歩約10分
清水寺の子安塔から 徒歩15分

拝観した後は清水寺の子安の塔に向かい、林の中の道を15分位歩く。
清水寺の裏側のフェンスのくぐり戸をくぐって、境内に入るとすぐに子安の塔の前に出る。
拝観料を払わずに裏口から入ったような後ろめたい気持ちになる。
ここからは舞台の上に上がらなければ無料で境内を散策することができる。