時雨殿は2006年1月27日、任天堂相談役の山内溥氏が多くの寄付を行って藤原定家が百人一首を選んだ地、小倉山の麓、嵐山の渡月橋の近くに建設された。
館内には任天堂のゲーム技術がいたるところで利用されている。
2012年3月にリニューアルが行われ、百人一首の博物館としての要素を前面に出し、歌仙100人や歌の場面を人形やジオラマで再現した展示、それと同時に役員から任天堂関係者がいなくなり、京都商工会議所や神社、仏閣等の関係者が多くを占めるようになった。
川霧にけぶる小倉山が屏風型のガラススクリーンに浮かび上がり、幽玄の世界へといざなうエントランス。
入り口には百人一首を編纂した藤原定家の歌が書いてあります。
こぬひとを
まつほの
うらの
夕なぎに
やくやも
しほの
みも
こがれつつ
権中納言定家
百歌繚乱
常設展示室には、百人一首を記したパネルが壁沿いに設置されています。
中には「今日の一首」のマークがついている歌がひとつだけあり、自分の入場券に書かれた歌と一致すると記念品がもらえます。
「今日の一首」は日替わり、入場券も100種類あるので、当たるとかなりラッキーかもしれません。
こちらは平安時代の中期、村上天皇の御前で行なわれた「天徳内裏歌合(てんとくだいりうたあわせ)」の場面を再現したもの。
歌合とは、歌人を2チームに分けてテーマに沿った歌を詠ませて優劣を競う遊びで、度々宮中で催されていました。
このとき競い合った中で特に有名なのは百人一首にも収録されている以下の二首です。
平兼盛(たいらのかねもり)
「しのぶれど 色に出でにけり わが恋は 物や思ふと 人の問ふまで」
壬生忠見(みぶのただみ)
「恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひ初めしか」
結果は前者兼盛の勝ちでした。
ちなみに、ジオラマには二人は登場していません。
二人とも身分が低かったため御前には上がれない、という平安時代の社会のあり方を表しているのだそうです。
平安時代の貴族文化や風俗が前提になる百人一首の歌。
夢舞台では、百人一首の歌をテーマとして、歌が詠まれた時代を象徴する装束や調度品、生活風俗を4分の1のサイズで緻密に再現。
歌人が生きた時代に迫っている。
歌仙人形
歌仙絵をもとに忠実に再現された100体の歌仙人形がずらり。
解説パネルでは読み下し文や歌人のプロフィールなどとともに、歌碑や参考とした歌仙絵なども紹介しています。
人形は「歌仙絵」(歌人の画像)をベースに、一つ一つ手作りしたものです
ベースに使用された歌仙絵は、狩野探幽(かのう・たんゆう)、住吉具慶(すみよし・ぐけい)、勝川春勝(かつかわ・しゅんしょう)などの絵師たちによる作品です。
特に江戸時代の浮世絵師である勝川春勝は、浮世絵らしい生き生きとした仕草や表情をつけ、コミカルな表現の作品を描きました。
そんな春勝の作品をモデルにした人形は、気だるそうにしていたり、驚いたような表情をしていたり、笑顔でおどけてみたりと、見ていて思わず笑みがこぼれてしまう楽しい姿をしています。
どれも大変人間味に溢れていて、親近感が沸いてきます。
また、各人形にはその人物の和歌が添えられています。
ここでは四季を読んだ歌なら緑、恋の歌ならピンク、といったように和歌が書かれた色紙が歌の内容によって色分けされており、何について歌ったものか、一目で掴めるようになっています。
全体的に見ると、ピンクが多いような気がします。実は百人一首の大半は恋の歌で構成されていることがわかります。
文字だけではわかりにくいことが、ぱっと見でも伝わるように工夫されています。
平安時代装束体験
平安時代の衣装を身にまとい、王朝文化を体験するコーナー。
(しとね)や御帳台など、当時をしのぶ調度品を背景に記念撮影をお楽しめる(無料)。
お気に入りの写真は、その場でシールプリント加工も可能(有料)。
2階は資料展示・競技かるた用の大広間となっており、体感による百人一首の世界を楽しめる。
パノラマのように広がる嵐山と保津川の風景が広がる2階から眺め。
2階の大広間は資料展示・競技かるた用の大広間となっており、体感による百人一首の世界を楽しめる。
几帳のかげに身を隱した女君の衣の袖に・・・・
自販機もさすがと思わせるデザインです。
時雨殿へのアクセス、行き方歩き方
京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町11
075-882-1111
京福嵐山駅から徒歩約10分
JR嵯峨嵐山駅、阪急嵐山駅から徒歩約15分