大通寺は真宗大谷派の寺院。
同派の別院。真宗本廟(東本願寺)を本山と仰ぐ。
本尊は阿弥陀如来。山号は「無礙智山」。
別名は「長浜御坊」。「長浜別院」、「大通寺」と略称される。
湖北の中心道場であった総坊を前身とし、慶長7年(1602年)に本願寺第十二代教如を開基として長浜城跡に創建。慶安4年(1652年)に現在地に移転する。
伏見城の遺構とされる本堂や大広間などの建築物(国の重要文化財)や、含山軒庭園と蘭亭庭園という2つの庭園(国の名勝)のほか、円山応挙や狩野山楽・狩野山雪らの障壁画など貴重な文化財を多数保有する寺院として知られる。
本願寺12世の教如上人が、湖北門徒に仏法を説き広めるための道場を、旧長浜城内に開いたのが始まりで、そのころは、長浜御堂と呼ばれていました。
安土桃山時代末期、京都に東本願寺が建立され、御堂を大通寺とし、その4年後に現在地に移築。
表参道から山門までの雰囲気が、「男はつらいよ」に出てくる柴又の帝釈天に似ていると感じる。
そうなんです!この大通寺の山門の下でも「男はつらいよ」のロケがされました。
急ぎ去れ 彼も親あり 花狐
「近江むかし話」によると、昔、大通寺(長浜御坊さん)に「お花はん」というきつねが住んでいたとか。
大通寺は、江戸時代には 琵琵湖岸の長浜城跡の中にあり 賑やかな街の中に移そうという賛成派と、反対派に意見がわかれ、本山(東本願寺)で決めてもらうことになったそうです。
お花はんは どうやら賑やかな街中に行きたかったらしく、お茶屋の娘に化けて 反対派の人たちの足止めをしたとか・・・で、今は この街中にあります。
お花ぎつねのオブジェ
明治のはじめ頃、大通寺に単身赴任してきたお坊さんがいた。
洗濯をしたある日、下帯だけ後で洗おうと思い縁の下に置いたままにしていたのだが、あくる朝、この下帯が本堂前に持ち出されていて、参詣に来た人々の目に入り大笑いされてしまった。
周囲の人に、赴任してきた時にお土産を「お花はん」に持ってこなかったからだと聞かされたお坊さんは、油揚げを買って大広間の天井へお供えした。
すると、それからピタリといたずらが止んだそうである。
大通寺では、今でも大広間に梯子がかけられていて、油揚げをお供えする人が後を絶えないという。
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