臨済宗大徳寺派大本山大徳寺の塔頭、通常非公開ですが、春と秋に特別公開されています。
手水に花一輪、粋なはからいです。
創建年次については天文2年(1533年)ともいう。
その後、畠山家が没落するが天正14年(1586年)に加賀百万石の基礎を築いた戦国大名・前田利家により改修が行われ、前田家の菩提寺となり庇護される。
方丈前庭は中根金作によって復元されたもので、白砂(白川石)に石組を豪快に配し、蓬萊の世界を表現しています。
苔山の裾にある石は船を表現し、石と石をつないでいる橋は中国の天台山の国清寺の石橋を模して作庭されていると言われています。
爪塚(つめづか)と琴心塔(ことしんとう)。
前住職さんの奥さんが琴の先生であったこともあり古くなった琴で使う爪やお琴奏者のご粉骨を埋葬してご供養されていたという。
琴心塔(ことしんとう)。
そして更に興臨院の北側の庭園進んでいきますと、涵虚亭(かんきょてい)という茶室があります。
涵虚亭の名は、涵(たっぷりと水の中に浸ける、内容が豊かである)虚(むなしい、中身が無くうつろである)という意味ということらしい。
大徳寺の西北の角から下がる道は、今宮神社の参道で、大徳寺の土塀には瓦が補強のためかきれいに埋め込まれている。
単なる補強のためだけとは思えず、斬新なデザインで洒落ています、邪気払いか何かのためではないかと思われる般若の顔などが埋め込まれている。
その埋め方が面白く、また普通の屋根瓦だけでなく、鬼瓦それも恵比寿様や、家紋など図案の違った瓦が配置されており、人目を引いている。
角から下がって、細川家の菩提寺である高桐院が見えるあたりまで続いており、向かいには紫野高校がある。
大徳寺塔頭 興臨院へのアクセス、行き方歩き方