現在は中央突堤と呼ばれる大桟橋の跡のたもとに、当時の面影を今に伝える近代建築が2棟並んで建っている。
1933(昭和8)年に建てられた商船三井築港ビルと、1936年の天満屋ビルだ。
竣工当時は煙突の下、一階部分が玄関だったそうですが、こちらも埋立てにより地下に埋没し たため、2階のコーナー部を玄関とした経緯がある。
淡い色のスクラッチタイルと煙突が特徴 の建物。
上階の左右、色が明るい部分は後に増築したものとの事。
天満屋ビルとは隣どうしで ある。
スクラッチタイルは釉薬を使わない(無釉)タイルであり、原料に含まれる鉄分のために赤褐色や淡黄色となる。
湿式成形された表面には、突起物による多数の溝が刻まれている。
光に対する反射がほとんどないため、陰影を利用した重厚感があるとされる。
スクラッチタイルは煉瓦からタイルに変わる際の過渡期の建材である。
帝国ホテル旧本館(ライト館)には煉瓦ではなく「スクラッチ煉瓦」が用いられ、世界で初めて外壁にスクラッチタイルを用いた作品とされる。
1923年(大正12年)の関東大震災で帝国ホテル旧本館は無傷だったこともあり、震災復興期の建築にはスクラッチタイルが多用された。
官公庁・大学施設・金融機関などの建築にスクラッチタイルが用いられ、1928年(昭和3年)から1931年(昭和6年)に流行がピークを迎えた。
明治村では帝国ホテル旧本館が見られる。
レトロ感がとてもいい 博物館明治村
1965年(昭和40年)3月18日、名鉄が用地の寄付をはじめ財政面で全面的に援助 … 続きを読む →
天満屋ビルは昭和10年(1935)竣工で、元は回漕店の社屋兼居宅とし建設されました。
このビルも商船三井ビル同様に整備された際、1階が半地下状態になったので2階のバルコニーだったところへ階段を取り付け玄関にしています。
現在は喫茶店「ハaハaハa」が営業しています。
大阪市都市景観資源のプレートとかさ上げの経過が表示されている。
港区と大正区は昔から地盤が低く、台風などの水害に何度も悩まされてきた。
それが戦後の復興事業によって、街の道路が約2メートル嵩(かさ)上げされ、それ以前に建てられた建築は1階が土中に埋まってしまったのだ。
ビルにはブーゲンビリアが絡まりいい雰囲気です。
こちらも色違いの茶色いスクラッチタイルで、大きなガラスの開口と幾何学的な構成がモダンだ。
現在は陽光がたっぷりと注ぐ部屋にカフェが入居し、ゆったりとした時間を刻んでいる。
今日はダイヤモンドポイントの夕日の撮影が目的で、帰りに食事をと考えていたがもうすでに閉店している、改めて訪問しよう。
たび重なる災害、大改修や解体の危機を乗り越えて今日に至りましたが、地域の歴史を伝える場所としてなんとか生き残ってほしいものです。
関連記事