橋本院の入り口の万葉歌碑
「 葛城の 髙間の草野(かやの) 早や知りて
標(しめ)刺さましを 今ぞ悔(くや)しき 」 巻7-1337 作者未詳
( 葛城の髙間の草野、そこをいち早く見つけて、「ここは俺のものだ」と目印を
立てておけばよかった。
いつの間にか他人に刈られてしまったわい。悔しい! )
草野は屋根材の最高級品とされた茅(かや)の群生地のことで、当時このあたりに生い茂っていたようです。
この歌は「草に寄す」に分類されているので、草野は若く美しい女性の譬えとされ、標刺すは我が物にすること。
目を付けていた女性が、知らない間に他人と一緒になった悔しさを詠っています。
葛城古道から見た橋本院、季節ごとの花のきれいな寺としても有名で、アジサイもその一つ。
長い参道にはユリなど季節の花が美しい。
真言宗のお寺で、ご本尊は十一面観世音菩薩像。
ご本尊はお彼岸などのお寺の行事の時や毎月開帳される。
高天寺は奈良時代に元正天皇の勅により行基が開いたとされる。
鑑真和尚も聖武天皇の任命により高天寺の住職になったほど、格式の高い寺院です。
また修験道の祖と崇められる役の行者のこの寺で修行を積んだと伝えられています。
奈良時代には高天原エリア一帯に敷地がひろがる大きな寺院でした。
時代の移り変わりとともに奈良の興福寺に属し、後に弘法大師の真言宗に属しました。
一時は大寺院として勢力を誇った高天寺でしたが、中世に入り南北朝時代になると 高天寺は戦乱で焼き払われ、なんとか一院だけ焼け残りました。
この院がちょうど池の橋の横にあったことから「橋本院」と呼ばれるようになり このことから現在は「高天寺 橋本院」として信仰を集めています。
カメラマンのファンの多い「瞑想の庭」
高天寺・橋本院での見所はなんといっても「瞑想の庭」と呼ばれる庭園。
白雲岳を背景に四季おりおりの草花が 野趣あふれる形で楽しむことができます。
葛城古道を紹介するテレビの収録が数多く行われているお庭です。
奈良盆地の西南、大阪府と奈良県の境に連なる二上、葛城、金剛山の峰々は古くは総称して葛城山(かつらきやま)とよばれていました。
その東側の山裾(奈良県側)を南北に辿る道が葛城古道で、古代豪族葛城氏や鴨氏の本拠地とされています。
葛城氏は天皇家との結びつきが強く、その祖とされる襲津彦(そつひこ)の娘が仁徳天皇の皇后、磐姫、万葉集最古の歌を詠んだといわれる女性です。
「 葛城の 襲津彦真弓(そつびこまゆみ) 新木(あらき)にも
頼めや君が 我が名 告(の)りけむ 」
巻11-2639 作者未詳
( 葛城の襲津彦(そつびこ)の持ち弓、その新しい弓材が強いように
あなた様は私を強く信じ切って下さった上で、私の名を他人に明かされたのでしょうか)
古代、恋人の名を他人に告げることは禁忌とされていました。
他人の口から人の名が発せられると、その人の魂が抜け出てしまい、お互いの関係が消滅すると考えられていたのです。
この歌の作者は、自分の名を明かした男に、
「 なぜ人に教えたの.
教えても私の気持ちが心変わりしないと強く信じておられたの。
それとも、もうお互いの関係は終わっても良いという心づもりなので
しょうか 」 と問い詰めています。
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