千代の古道をたどり広沢の池へ

京都府


「千代の古道」というのは、平安時代に天皇や貴族が北嵯峨野(大覚寺)に通った道を呼ぶ。

遠景は大覚寺、桜はまだ咲ききっていない。

のどかな田園風景が広がる。

公益財団法人京都市埋蔵文化財研究所では、『梅宮から広沢の池、嵯峨大覚寺に至る府道に「千代の古道」の道標が立てられています。

古代嵯峨野は神聖な葬送の地であり、多くの古墳が残された地域です。

また、平安時代には藤原定家らが歌に詠んだ、嵯峨院(大覚寺)へ通じる貴族の遊饗の道ともなっていました。

さがのやま 御幸絶えにし芹川の 千代の古道跡はありけり 在原行平

嵯峨の山 千代の古道跡とめて 又露わくる望月の駒 藤原定家

広沢池観音石仏は観音島と称される小島にあり高さ1.6mの安山岩製で頭上に十一面の化仏(けぶつ)を表し、両脇に千手をもつ丸彫りの石仏で仏顔は稚気に富み微笑ましいです。

背面に寛永18年(1641年)、樋口平太夫が願主となり但称(たんしょう)上人によって造られた銘があるので元、鳴滝の五智山にあった石仏群中の一体を当地に移したとされます。

観音島とは、広沢池畔にあった遍照寺の観音堂に因んで名付けられました。

池畔に佇むお地蔵さん。

お昼は『池の茶屋』でいただきました。

池の茶屋といえば、エッセイストの白州正子さんが好物の宇治金時(かき氷)に舌鼓を打ちながら至福の時を過ごされている写真は、雑誌などで拝見したことがありますが、ここから見る広沢池は、まさに絶景です。

庭には大きなしだれ桜や手入れの行き届いた松、秋には真っ赤に染まった紅葉で訪れる人を魅了します。

後世にいくつかの道がそれと見なされ、道標石碑が建てられました。

名称については諸説あるが、「千代の古道」の名称が初めて歌に詠まれたのは在原行平が初めてだとされている。

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