建仁寺から人通りの少ない道をトコトコ、八坂の塔、寺の正式名は法観寺です。
八坂神社と清水寺の中間に位置しており、「八坂の塔」という呼称で余りにも有名なので、正式名はあまり知られていないようです。
八坂通りの【奇妙な】画廊
この不思議な人間の体のパーツをモチーフにした作品の数々
危ないからどうぞ近寄らないでおくれやす。
そして写真撮る時は100円と書かれてます。
三本の和傘が象徴的な二寧坂入口。
西暦807年より坂が整備されて約1200年の歴史がある坂。
大正時代に現在のように整備され、近年、電線が地中化。
大正の香りを遺す風情ある道として、フォトスポットとしても人気のスポットです。
画家・詩人の竹久夢二がこの近くに住まいしたことでも知られています。
yahooで「竜馬葬送の道」で検索してみてください。
わがブログが2編検索にかかります。
明治維新の舞台!創業143年の老舗料亭「京大和」
故司馬遼太郎さんはこの料亭をよく使われていたそうです。
前方に大雲院祇園閣。
別名銅閣寺とも呼ばれる中々異色な建築。
1928年(昭和3年)に建築された3階建ての建物で、大倉財閥の設立者である大倉喜八郎が別邸とし建てた別邸「真葛荘」の一部。
屋根は銅板葺きであるが、これは大倉が金閣、銀閣に次ぐ銅閣として作ったため。
祇園祭の鉾を模したもので、設計は伊東忠太。
元からこの地にあるもので、1972年の大雲院の移転により伽藍の一部となった。
寺内は通常は非公開であるが数年おきに期間を限って公開され、公開の際は祇園閣に登ることや、墓地の石川五右衛門墓所や織田信長らの慰霊碑の参拝もできる。
書院の内部公開は行われない。
大雲院特別公開
天正15年(1587年)、正親町天皇の勅命を受けるという形で、貞安(じょうあん) … 続きを読む →
狭い路地に入ると、路面には石畳が敷き詰められ、両側には町屋が並び、京都らしい風情を楽しむことができます。
路に敷き詰められた石畳の一部は、廃止された京都市電の敷石を移設したそうです。
町屋の石垣がまるで石塀のように見えることから「石塀小路」と呼ばれるようになりました。
石塀小路といえば山村美紗を思い出す。
国内におけるミステリー界の女王やトリックの女王と呼ばれ、日本のアガサ・クリスティとも讃えられた。
今は故人の彼女の住まいはこの近くにある。
石塀小路の歴史は浅く、明治末期から大正初期にかけてお茶屋の貸家が軒を連ねていました。
現在は、旅館や料亭、庭園が美しい喫茶店などが立ち並び、祇園の奥座敷の位置づけにあります。
路は曲がりくねって、袋小路のように思えますが、高台寺通り(ねねの道)へと通り抜けることが出来ます。(逆方向の散策もOK)
なお、「石塀小路」には2箇所ほど行き止まりがありますが、基本的には高台寺道と下河原通をショートカットする小路。
こういった小路のことを京都では辻子または図子(両者とも「ずし」と読む)といい、行き止まりの小路を路地(ろうじ)と呼びます。
京都ならではの呼び名を少し学んでから「石塀小路」を訪問すると、またひとつ違ったものが見えてくるかもしれません。
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