先哲の眠る東寺町をめぐる

大阪府

大坂の陣の後、松平忠明による復興の際には、北の防御線として天満北縁の西成郡川崎村および北野村に天満寺町が形成された。

天満堀川を境に天満東寺町・天満西寺町とも呼ばれる。

善導寺、江戸中期の町人学者山片蟠桃(やまがたばんとう)、三弦合奏創始者近藤宗悦、大阪画壇の西山芳園・完瑛父子の墓がある。

山片蟠桃は大阪町人・大阪商人の学塾である懐徳堂で中井竹山・履軒兄弟に朱子学を、先事館で麻田剛立に天文を学ぶ。

幼時から大阪の両替商である升屋に仕え、明和8年(1771年)に24歳の若さで番頭となり、傾いていた経営を軌道に乗せ、桝屋を繁盛させた。

財政破綻した仙台藩に建議し仙台藩の財政を再建。

『夢ノ代』の冒頭である「天文編」で地動説と太陽系を紹介し、太陽系と同じものが宇宙に無数にあることや万有引力説を説いている。

近年大阪府が国際的な文化賞として、山片蟠桃賞を設けている。

適塾と緒方洪庵
蘭学者・医者として知られる緒方洪庵が江戸時代後期に大坂・船場に開いた蘭学の私塾。 … 続きを読む →

懐徳堂は、江戸時代後期に大坂の商人たちが設立した学問所。

明治初年の閉校、大正時代の再建、太平洋戦争による罹災焼失を経て、現在は大阪大学が継承しているとされる。

門下より草間直方・富永仲基・山片蟠桃のごとき特徴的な町人学者を輩出したことでも知られる。

天徳寺

儒者・書家の篠崎小竹の墓がある。

詩・書に優れ、書籍を刊行しようとする者のほとんどが小竹に序・題・跋などの文章を求めるほど人気があった。
篆刻も得意とし稲毛屋山の『江霞印影』にその印が掲載されている。

大塩平八郎とも養父・三島に初読を習った弟子である関係で交流があったが、平八郎は陽明学者で朱子学者とは犬猿の仲であり、兄弟子である小竹とも学説上の対立があった。

宝珠院

縁起によれば弘仁年間(810年 – 824年)空海が開基。

紀伊国伊都郡(現・和歌山県伊都郡高野町)の高野山草創の頃、平安城の東寺より往来する際、しばらくこの地に安居して駄都秘法(駄都法)を練習した所で、後に、高弟の室生山堅恵上人が師の跡を慕って駄都法を修し寺院に改めた。

菅原道真が清和天皇に奏請して天満郷を寺領として貰い受けたので菅原山という。

九品寺

伝、行基開創後、浄土宗に改宗。

寺内に五井持軒の墓がある。

大阪生まれの儒学者。

伊藤仁斎・貝原益軒と親交があった。

龍海寺

現在の大阪大学の前身にあたる適塾を開設し、天然痘治療に貢献した、日本の近代医学の祖といわれている緒方洪庵の墓がある。

緒方洪庵の功績は、適塾から福澤諭吉、大鳥圭介、橋本左内、大村益次郎、長与専斎、佐野常民、高松凌雲などの幕末から明治維新にかけて活躍した多くの人材を輩出したこと。

日本陸軍の創始者、大村益次郎の足塚があります。

大村は刺客に襲われて足の傷が原因で死亡。

足塚は「切断した足を洪庵先生の墓傍に埋めてほしい」という遺言による。

適塾と緒方洪庵
蘭学者・医者として知られる緒方洪庵が江戸時代後期に大坂・船場に開いた蘭学の私塾。 … 続きを読む →

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