奈良時代後期、最澄(さいちょう・767-822)によって開山されたと伝えられる。
また、最澄の生誕地といわれ、延暦寺の中でも特別な霊地として崇められています。
山門のかたわらに「開山伝教大師御生誕地(かいざんでんぎょうたいしごせいたんち)」の碑があります。
誕生した最澄と両親
「伝教大師御産湯井」
最澄は、古市郷(膳所から南郷あたり)の生まれとの記録もあるが延暦寺のお膝元・坂本には最澄出生にまつわる旧跡が多く、この他、出産時の胞衣(えな)を埋めた塚や父の屋敷跡などがある。
伝教大師立像
本堂
供養石仏、室町時代、1571年の織田信長による比叡山焼き討ちの際、坂本でも多くの犠牲者が出た。
その霊を供養するために坂本の各所に石仏群が祀られている。
その供養石仏、五輪塔、石仏が境内の一角にある。
事績を伝える立札も朽ち果てて読み取りにくい。
『ぐるっとびわ湖巡礼の旅』によりますと、「一五七一(元亀二)年、織田信長の比叡山焼き討ちの日の朝、日吉大社にお参りした地元の住民が織田軍勢を発見した。
この異変を知らせるために生源寺の釣り鐘をたたいた。
強打したためヒビが入り不思議な音色になったという。」とあります。
このほか、『びわ湖百八霊場公式ガイドブック』、『滋賀県の歴史散歩 上』、『さかもと』にも同様のことが掲載されています。
なお、この破鐘は生源寺境内から移されて、現在JR湖西線比叡山坂本駅前の「坂本石積の郷公園」に設置されています。
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