織田信包(信長の弟)が天正8年(1580)に津城を創築。
以後、 津は城下町として発展。
その後、藤堂高虎が四国伊予の今治(愛媛県)から移封、 慶長16年(1611)に大規模な改修を行い、北側の石塁を高く積み直し、その東北と西北の両すみに三重の櫓をつくりました。
津は江戸期を通じて伊勢神宮参拝の宿場町として栄え「伊勢は津でもつ津は伊勢でもつ、尾張名古屋は城でもつ」と伊勢音頭に謡われた。
駐車場から三層復興櫓へ、桜は今が盛り。
お市の兄、織田信長の弟である信包がこの地に安濃津城を築城したのが1580年。
お市と三姉妹も、完成に伴い伊勢上野城からここ安濃津城に移り、お市が再婚するまでの2年間を過ごしました。
戌亥櫓跡と北多聞櫓跡
藤堂高虎が手直しし、拡張した石垣に戌亥(いぬい)櫓を設け、天守に代わる津城の象徴でもあった。石垣の輪郭線が曲がっていない(一直線)のが特徴。
石垣と水際には幅1m余りの犬走りが設けられている。
高虎の前任地、伊予の今治城にも犬走りが造られている。
西之丸の北西側石垣。
西之丸虎口の橋。
津城は、戦国時代の永禄年間(1558~1569年)に長野氏一族の細野藤敦が築いた安濃津(あのつ)城が始まりとされています。
西之丸虎口。
かつては2階建ての櫓門がありましたが、現在は石垣だけが残っています。
石垣下の「犬走(いぬばしり)」は、築城の名手、高虎が用いた特徴的な築城術として見逃せない。
入徳門
文政3年(1820)、二の丸に創設された藩校有造館(ゆうぞうかん)の門。
第10代藩主藤堂高兌(たかさわ)は藩士やその子弟を教育する為の藩校として、有造館を創設した。
他所へ移されたのち、現在の西の丸跡に移築保存された。
三層復興櫓
本丸東側の東黒門・東鉄門があったところに再建された三重隅櫓<昭和33年(1958)築造>
桜に取り巻かれています。
天守台から日本庭園を望む。
藤堂高虎の銅像は、北向きに設置されているため、撮影は常に逆光となる。
見せることを全く考えていない、ある意味意味のない銅像と化している。
伊賀櫓跡。
天守台横の埋門
天守台の東方は石垣の切れ目になっており、埋門の名がある。
江戸時代には犬走りへ出る門(埋門)があった。
高山神社(こうざんじんじゃ)は藤堂高虎を祀る。
「この神社の名前は、高虎の院号から取っている高虎の院号は長い。”寒松院殿前伊州羽林道賢高山権大僧都”という。
あまりに長ったらしいので、高虎のことを”高山公”と通称している」
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津城へのアクセス、行き方歩き方
住所:三重県津市丸之内27-10
JR・近鉄「津駅」からバス約8分「三重会館」から徒歩で約3分