参道を進むと朱塗りの「鳥居橋」があり、橋の傍に『今熊野観音寺』と刻まれた石柱が立てられているのが見える。
ここから奥が観音寺の境内になっているように思われるが、通常の寺院に見られるような山門がない。
観音寺は泉涌寺の塔頭であり、そのため山門が設けられていないのかも知れない。
観音寺は、京都市東山区泉涌寺山内にある真言宗泉涌寺派の寺院。
泉涌寺の塔頭のひとつで、今熊野観音寺とも称される。山号は新那智山。
秋ともなるとここは隠れた紅葉の名所。
紅葉の穴場、新那智山 今熊野観音寺
東福寺のあまりの混雑にビックリされて途方に暮れた方、大丈夫です。 近くに、今熊野 … 続きを読む →
杉並木の傍の参道を通り抜け境内を奥に進むと、先ず目につくのは「子護大師像」。
像は観音寺の開基である弘法大師の姿であろうと思われる。
階段を上がり振り返ると子護大師像の大きな背中が。
空海が唐で真言密教を学んで帰国した翌年にあたる大同2年(807年)、東山から光が出ているのを見つけた空海は、不思議に思って当地にやってきたところ、老人の姿をした熊野権現が現れた。
熊野権現は空海に天照大神御作の一寸八分の十一面観音菩薩像を手渡してこの地に一宇を建ててこの観音菩薩を祀り、衆生を救済するようにと言った。
そこで空海は自ら一尺八寸の十一面観音菩薩像を刻み、授かった一寸八分の像をその体内仏として中に納め、熊野権現の言うようにこの地に一宇を建てて奉安した。
これが当寺の始まりであるとされる。
現在、この観音寺は泉涌寺の塔頭であるが、応仁の乱以前は泉涌寺をしのぐ大寺だったという。
観音寺は「頭の観音」といわれているように、「ぼけ封じ祈願」の寺としてよく知られている。
「ぼけ封じ観音」の台座の近には多数の「身代わり石仏」が置かれている。
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