中村 早朝散策

四国

最初から予定の狂ってしまった「だるま夕陽」撮影の旅、今日の泊りは新ロイヤルホテル四万十翌朝は道の駅ビオスおおがた周辺の早朝撮影の予定だか、この天候では変更せざるを得ないだろう。

翌朝、中村の街を早朝散策、なんとか雨も上がっている。

中村城跡とは、為松山頂にあった4つの城群、即ち東ノ城、為松城、(本丸)、今城の総称で、連立式の城郭であったと考えられています。

現在は「為松公園」になっており、二の丸跡に模擬天守の四万十市立郷土資料館がある。

静まり返る、四万十市中村一条通商店街。

一條神社は、文久2(1862)年、中村御所跡の一部の小森山山頂にあった一條家御廟所跡に、土佐一條氏の遺徳を偲ぶ有志によって建立された。
 
土佐一條氏は応仁の乱を避け下向した前関白一條教房に始まり、以後4代、中村の文化、経済の発展に力をそそぎました。
この神社には教房の父、兼良を始め、土佐一條氏歴代の霊を祀っています。

幸徳 秋水(こうとく しゅうすい)の墓。

幸徳 秋水(1871年11月5日(明治4年9月23日) – 1911年(明治44年)1月24日)は、明治時代のジャーナリスト、思想家、社会主義者、無政府主義者。

本名は、幸徳傳次郎(こうとく でんじろう)。
秋水の名は、師事していた中江兆民から与えられたもの。
大逆事件(幸徳事件)で処刑された12名の1人。

統合庁舎脇に「四万十川の水」碑がある。

四万十川は昭和60年7月、水環境の保全状況が極めて優良であり、住民による保全活動が行われていることから、「名水百選」に選定される。

平成20年6月、自然環境保全と地域活性化など流域に暮らすに人々の取り組みが評価され、支流の黒尊川が、「平成の名水百選」に選定される。

この”赤鉄橋”(四万十川橋)は、大正15年に完成。

四万十市の中村地区の中心部にある橋で、当時は四国一の鉄橋だったので、完成時、人口1万人の中村に10万人の見物客が来たという。

歩道から眺めた四万十川。

四国最長の大河、不入山(1,336メートル)の東斜面に源を発し、主な支流35、支流総数319、四国西南地域を大きく蛇行しながら、落差のない流れとなって、四万十市下田で太平洋に注ぐ。

この橋の河川敷にはテニスコートや広場などがあるため、周辺の人々には親しみやすい場となっており、観光客が橋を写真に収めようと河川敷にて良いアングルを探している様子も見られる。

昨夜は雷鳴轟く豪雨で眠れなかったが早朝散歩から帰る頃には朝日射す。
部屋の窓から雲間からのぞく朝日を撮影。

これからもう一度、勝間沈下橋に向かう。

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