江戸時代、各藩は大川界隈に蔵屋敷を持ち、米や特産物などの多量の物産を船で搬入していた。
また屋敷内には御船入という入堀を作り、その入堀への水路をまたぐ橋(船入橋)が架かっていたが、平成2年 (1990)に現裁判所地に入堀跡が確認されて、佐賀藩蔵屋敷跡であることが裏付けられた。
この船入橋は近松門左衛門 『心中天の網島』の中では冥土へ 旅立つ男女の姿を見送る「名残 の橋」として書かれている、また佐賀藩蔵屋敷の浜辺は「鍋島の浜」と呼ばれ、井原西鶴の『好色五人女』では月見の名所として登場し、夕涼みの場、夏には盆踊りでも有名であったといいま す。
西天満若松浜公園、川沿いのテラス。
陽だまりで憩う市民の姿が見られる。
日向ではスズメが飛び交う。
テラスから淀屋橋方面を望む。
橋の南西に居を構えていた江戸時代の豪商・淀屋が米市の利便のために架橋したのが最初で、橋名もこれに由来する。
米市は橋の南詰の路上で行われていたが、1697年(元禄10年)に堂島へ移った。
現在の橋は都市計画学者でもあった關一第7代大阪市長による御堂筋拡幅工事の一環として、1935年(昭和10年)に完成した鉄筋コンクリート造りのアーチ橋。
「緑の賛歌」は、大阪市中之島公園にある。
緑豊かな文化の香り高い街づくりの推進にと、浅井鉞次郎氏が大阪市に寄贈した作品で1973年4月16日に除幕式が行われた。
約8メートルの台座に立つ4.3メートルの裸婦像は、本郷の野外彫刻の中でも最も大きなものです。
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