古民家を訪ねてシリーズを始めたばかりですが、季節の話題を挟ませていただきます。
今回は「東洋のマチュピチュ別子銅山と山陽しまなみ秋景色」というタイトルのツアーです。
秋晴れの難波からのスタートです。
秋らしい雲の広がる中、淀川を渡る。
最初の訪問地は閑谷学校。
岡山藩主池田光政によって開設された日本最古の庶民学校。
藩士のための教育施設(藩校)「岡山学校」に続き、岡山藩立の学校として開かれた。
建築は2期に分けて行われ、32年の月日を費やした。
他に例をみない手間隙かけた質とスケールを誇り330余年の歴史をもっている。
地方の指導者を育成するために武士のみならず庶民の子弟も教育した。
また、広く門戸を開き他藩の子弟も学ぶことができた。
2本の巨大な楷(かい)の木や周辺のもみじが美しく、秋の紅葉名所でもある。
と、言うのがうたい文句なのだが今年はご覧の通り無残な姿。
夏の高温のせいだとか。
画像は「聖廟」
国宝 講堂(こうどう)は元禄十四年(1701)の完成で内部は十本の円柱に囲まれた内室と、その周囲の入側からなり外廻りを広縁でとりまいている。
材料の吟味と施工が入念になされており、今日に至るまで一分の狂いもみられない。
学校建築としては唯一の国宝。
儒学の殿堂にふさわしい様式を備えている。
講堂内の黒光りする床も、10本もケヤキの丸柱も、江戸時代のまま、床は漆塗りで鏡のように光を反射している。
「読初の儀」は、約340年前に創設された旧閑谷学校が江戸時代から教えていた儒学(朱子学)の祖・孔子の徳をたたえる儀式「釈菜(せきさい)」(10月)と並ぶ二大行事。
旧閑谷学校を直営していた岡山藩が廃止された明治期以降、途絶えていましたが、平成17年、論語の精神を現代に生かそうと復活させた。
厳冬期、昔ながらの作法で花頭窓(かとうまど)を開け放ち 、ヒノキの床に正座して執り行われますが、参加者には「リンとして、厳粛な気持ちになる」と人気があります。
その後、全員で、ネルの布で約100畳の広さの床を磨きます。
建物の屋根は耐久性の高い備前焼瓦で葺かれた。
使用されている瓦は、釉薬を使用しない窯変瓦で、備前焼技法が応用されている。
焼き具合によって1枚1枚色合いが違うのが特徴である。
また一般の瓦が寿命60年といわれるのに対して、閑谷学校の瓦は300年経過しても殆ど割れないまま使用できている。
高い耐久性は高温で焼結されている為であるが、制作過程で変形が起きやすく、屋根に拭いたときに隙間ができて雨漏りしやすいという欠点がある。
そのため様々な漏水対策が施されている。
重要文化財 石塀(せきへい)、校門の左右から出て、閑谷学校の施設をすべて囲み全長七六五Mにもおよんでいる。
河内屋治兵衛を棟梁とする石工集団によって築かれたもので「切り込み接ぎ式」の工法が用いられており、元禄十四年(1701)に完成した。
内部には洗浄した割栗石をつめて排水を助けており、三百年を経て今も端然たる姿をたたえている。
閑谷学校へのアクセス、行き方歩き方
岡山県備前市閑谷784
0869-67-1436
JR山陽本線吉永駅下車、タクシーで10分。