ライバルを救った小町の慈悲心「草子洗小町」

京都府

小町零落説の背景には、あまたの貴公子を虜にした小町に対しての男性諸氏のひがみ根性があったといわれる。

「深草少将の百夜通い」は美化されているが、現代なら一歩間違えばストーカー行為か。
今回は小町を称える奇跡談を。

実際のところ、当時の小野小町の姿を伝える肖像画は残って居らず、『本当に美人だったのか?』も、不明。

絵は、小野小町(菊池容斎・画、明治時代)。
つまり、明治時代に書かれた、想像図です。(ウィキ)

神や仏と謳われた小町の功徳は、謡曲「草子洗小町」に描かれている。
「小町と歌合せで勝てないと思った『六歌仙』大友黒主は前日に歌を盗み聞きする。

当日、小町がその歌を詠むと黒主は『これは万葉集の詠み人知れずの歌で、小町が盗作した』といい、懐から証拠品として万葉集の草子を出した。
小町はそれが本物の万葉歌かどうか草子を洗ってみようと提案。
草子を洗うと、案の定一字残らず消えてしまう。

恥じて自害しようとした黒主に小町は、『歌人同士、恨みは忘れるのでお互い精進しよう』といい、和歌の徳を称えて舞を舞う」
小町が草子を洗った井戸の所在が、上京区堀川通り一条東入ル「小町通・小野小町雙紙洗水遺跡」で、通りを「小町通り」という。

昭和初期まで井戸があったようで、かつて「清和水」や「更科水」という名水が湧き、江戸時代には「小町塔」もあったらしい。
京都御所の東南にある仙洞御所には「草子洗の石」がある。

この一帯は歌合せに同席した「六歌仙」紀貫之の旧棲地であったゆえに、何らかの因果があるのかもしれない。

小町が草子を洗った水は、御所の清涼殿に鴨川の上流から引き入れられた「御溝水(みかわみず)」だとわれ、現在も京都御苑から洛中に流れ出ている。

小町は「雨乞い」の超能力を持っていた
彼女の歌で天の神を感動させ、雨を降らせたという。
大干ばつの時、小町は帝の命により神泉苑で雨乞いの歌を詠んだ。

「小町集」にこのような歌がある。
ちはやぶる 神もみまさば 立騒ぎ 天のとがはの 樋口あけたまへ
小町がこの歌を詠むと、にわかに雨が降ったという。

中京区西洞院の東南角に「小町化粧水」という石碑がある。
ここに小町の別邸があり産湯の水で、雨乞いをしたという伝承がある。
小町の「雨乞いの超能力」は呪術一族小野氏の子孫だからこそ持ち得た超人的能力で、小町は巫女的な才覚を持っていたのかもしれない。

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