難波八阪神社の創建年月日についての詳細がわかる資料は、1945(昭和20)年に起きた大阪大空襲で被災し現存していないとのことですが、言い伝えによると、仁徳天皇(313~399年)の時代にまでさかのぼります。
今日はもう1月8日だがご覧の通り長蛇のの列。
厄除け、疫病退散、縁結び、夫婦円満、安産の神様です。
厄除けはもちろんのこと、最近では新型コロナウイルスの疫病退散を願う人たちが訪れる神社でもあります。
「獅子殿(ししでん)」と呼ばれる大きな獅子がいるユニークな神社として有名で、全国各地からこの獅子殿を一目見ようと多くの方が集まります。
また、境内にある獅子殿(獅子舞台)がインスタ映えするということでSNSで大人気になっています。
「目はライト・鼻はスピーカー」
の役割を担っているという、実用性を兼ね備えた画期的な造り。
時は流れ、1945(昭和20)年の大阪大空襲で社殿が全て焼失し、現在の本殿は1974(昭和49)年に完成。
境内の西側に鎮座(ちんざ)する「獅子殿」と呼ばれる大きな獅子の頭をした舞台も、同年に建てられました。
獅子殿は、高さ12m、幅11m、奥行き10m。
この地域に疫病が流行りだし、これを治めるために※神仏習合の神である牛頭天王が現れたことをきっかけに、お祀りをしたのが始まりとされています。
総本山は京都の八坂神社になりますが、「坂」の漢字が違うのは、大阪の「阪」にちなんでつけられています。
難波八阪神社の手水舎では、獅子(?)の像がお出迎えしてくれます。
水が出てない…と思ったら、近づいて3秒待ったら水が出る、という自動式手水舎でした。
戦艦陸奥主砲抑気具(しゅほうよっきぐ)記念碑
戦艦陸奥は竣工当時「世界七大戦艦」とも呼ばれ、姉妹艦の長門とともに大日本帝国海軍の象徴として日本国民に長く親しまれていましたが、太平洋戦争の終戦直前に主砲火薬庫から爆発を起こして沈没しました。
その戦艦と運命を共にした1121名の将兵の魂を慰霊し、永遠の平和を祈るものとして安置されています。
篠山神社
摂津、河内、播磨と呼ばれていた当時の大阪市エリアでは、野菜を売ることが公認されていませんでしたが、大坂代官篠山十兵衛景義(ささやまじゅうべえかげよし)が大阪市に住む百姓や人々のために公設市場が公認されるように尽くした結果、大阪市エリアでも野菜の販売が許可されました。
この善行から、篠山代官は多くの方から感謝され、生き神さま(生祀:せいし)として祀られました。
また、現在なんばエリアにある木津(きず)市場の発祥にも関わっており、地元の方から親しまれています。
アクセス
電車の場合
大阪メトロ 御堂筋線・四つ橋線 ナンバ駅より約6分
大阪メトロ 御堂筋線・四つ橋線 大国町駅より約7分
南海難波駅 より約6分
自動車の場合
国道26号線元町3丁目北 を西へすぐ
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