三内丸山遺跡は2000年に国の特別史跡に指定。
遺跡跡には住居群、倉庫群のほか、シンボル的な3層の掘立柱建物が再現されており、資料館もある。
2009年8月現在、青森県教育庁文化財保護課三内丸山遺跡保存活用推進室が発掘調査を行っている。
縄文時遊館内部からトンネルをくぐり遺跡に出る。
六本柱建物跡、大型竪穴式住居跡が並ぶ。
たかだか穴が見つかっただけでこれだけのものを想像で建てて公開していいものなのかなあ。
考証と施工は小山修三の監修の下、大林組のプロジェクトチームが行ったが、結局、中間を取って屋根のない3層構造の建物になった。
しかし床があるのに屋根がない、もしくは屋根がないのに床があるというのはどうしても中途半端な感が否めず、後々までこれでよかったのかと疑問の声が上がる原因となっている。
なお、普段はここに登ることはできない。
中でも最大なものは長さ32メートル、幅10メートルのもので、これが復元されている。
内部の見学も可能である。
最大で500人程度が生活していたとされるが、排せつ物の処理をどうしていたとかの説明は一切ない。
平成6(1994)年9月に青森市で開催された「北のまほろばシンポジュウム」では最盛期の縄文時代中期後半には500人の居住者がいたのではないかとの発言があったが、異論も出た。
見つかった穴の状態が保存展示されている。
掘立柱建物跡(高床式倉庫跡)
付近では今でも発掘作業が続けられている。
発掘作業の様子。
出土した装飾類の展示。
盛り土の成り立ちが説明されている。
出土した甕類。
そろそろ日暮れが近づく、右端の白い建物は雰囲気化に不似合だ。
これほどの集落がなぜ終焉を迎えたのかは謎である。
一因としては、気候の寒冷化などが挙げられるが、それだけで集落全土を手放すとは考えづらく、栗の栽培を停止しなければならない何か特別な理由があったという見解も示されてはいるが、それが何であるかは分かっていない。
遺跡が夕闇に浮かぶ。
日没も間近となり本日の宿泊先へと急ぐ。
独り言
余りにもSF的で笑ってしまった。
発見当時は「貧しい縄文時代像」が塗り替えられたともてはやされたが、いまでは、あまりもの馬鹿らしさにだんだんトーンは落ちている。
狩猟採集生活で安定的に豊かで大きな集落を維持することが可能だというはあまりにもSF的。
一般大衆相手にいい加減な作り話を吹聴するのはいかがなものかな。
三内丸山遺跡へのアクセス、行き方歩き方
住所:〒038-0031青森県青森市大字三内字丸山305
Tel:017-766-8282 縄文時遊館
東北道青森ICよりR7環状バイパス経由、三内丸山遺跡方面へ5分
東北新幹線「新青森駅」からあおもりシャトルdeルートバス(ねぶたん号)左回り「三内丸山遺跡前」下車、またはJR「青森駅」から「運転免許センター行」市営バス約30分「三内丸山遺跡」下車