メキシコは、北アメリカ南部に位置する連邦共和制国家。
北にアメリカ合衆国と、南東にグアテマラ、ベリーズと国境を接し、西は太平洋、東はメキシコ湾とカリブ海に面する。
首都はメキシコシティ。公用語はスペイン語。総人口は約1億2千万人(2013年現在)。
スペイン語圏においては最も人口の多い国である。
ウシの仮面 チアパス州
メキシコ、チアパス州で1月20日のサン・セバスチィアンの祭りに用いられる舞踏用の仮面。
キリスト教もウシもスペイン人が伝えたものだが、今ではメキシコ人の信仰に深く根付いている。
骸骨人形 酒場で興じるトランプ遊び
メキシコでは砂糖菓子やおもちゃ、飾りなどに骸骨がこのんでとりあげられる。
とくに11月2日の死者の日を中心に、街にあふれる。
死は日常生活の一部であり、親しみ深いものであるという死生観にもとづいている。
死者の日
11月2日はカトリック教会の死者の日(万霊節)である。
人々はは墓に花を供え、ローソクを灯して死者との霊的な交流を図る。
メキシコでは特に骸骨人形が作られ、死を身近なものにしている。
木彫(オポッサム) オアハカ州
メキシコ・オアハカ州でつくられる木彫り、オアハカン ウッド カーヴィングのオポッサム。
作者はオアハカン ウッド カーヴィングの創始者マヌエル ヒメネスの息子、アンヘリコ ヒメネスとイサイーアス ヒメネス。
背中に子どもたちをのせて、ゆっくりと歩いている微笑ましいようすが、ヒメネス ファミリーの住むアラソーラ村の畑や野原でもよく見られるそう。
木彫(悪魔像) オアハカ州
これはメキシコ、オアハカ州生まれの木彫作家イシドロ・クルス氏の作品。
彼は若い頃に木彫を始め、やがて不思議な病を患い数ヶ月間寝込む。
回復すると木彫の腕がすこぶる上達していたという。
1970年代前半には、メキシコ政府の民芸品振興基金オアハカ事務所の職員に任命され、地域の木彫作家の育成に当たった。
クルス氏は、展示品の悪魔像以外にも、骸骨の仮面など、一見不吉なものを好んで彫る。
その理由を娘のブランカさんが私に教えてくれた。
彼はつねづね、「生きている間には富や地位に差がある人間にも、死は分け隔てなく訪れる」と口にしている。
クルス氏の木彫は、死という究極の平等を表現しているようだ。
木彫(ナワル) オアハカ州
メキシコの民間信仰では、動物に変身する能力をもった人や、人を守る動物霊をナワルとよぶ。展示品はヤギに変身したナワルの木彫。
木彫(龍) オアハカ州
メキシコ南部のオアハカ州では1950年代から観光みやげ品として木彫が制作されていた。
1980年代から、メキシコ市のアレブリヘの影響を受け、ユーモラスな形と苔抜な彩色をほどこしたカエルやウサギなど動物の木彫が多数の作家によって制作されはじめ、これらもまたアレブリヘと呼ばれるようになった。
ドラゴンはアレブリヘの典型的なモチーフのひとつである。
木彫(ジャガー) オアハカ州 |
木彫(ウサギ) オアハカ州 |
アステカの暦石
玄武岩の1枚岩 直径 3.5m 厚さ 20cm 重さ 24590kg
アステカの遺跡は、スペイン人の侵略によって破壊され、わずかに残っているだけだがその中で最も貴重とされるのは、1790年12月17日に発掘されて以来、「科学への桃戦」と呼ばれ ている大陽の石、アステックカレンダー。
このアステックカレンダーは、メキシコシティの中央広場、大聖堂の外に1885年まで置かれ、その後は、メキシコ国立人類学博物館の最も重要な位置を占めている。
太陽の石アステックカレンダ-。直径3.75メートル、重量24トンという巨石。
このカレンダーには、地球誕生から現在、さらに未来の出来事が記されているという。
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