石切駅方向からの参道には商店が連なっており、占い店や漢方薬店等の変わった店が集積する。
途中で愛嬌のある猫に出会った、下をぺろりと出している。
神社に到着して、まず驚くのが、本殿と三の鳥居の間を多くの人が列をなしてぐるぐると回っています。
何かと思えば、皆さん『お百度参り』をされているのです。
お百度参りといえば、人知れずひっそりと…というイメージなのですが、こんなに大勢の方が、一緒にお百度参りをされている様子に出会うのは、全国でもきっとこの石切さんだけでしょう。
神殿正面右手に大楠がある。
神社の方の話では、「詳しいことは分かりませんが樹齢は1000年前後」とのこと。
しめ縄が張られ威厳を讃えていました。
石切劔箭神社は、どんな強固な岩でも何の苦もなく切れ刺しぬくような劔と箭(矢)をご祭神のご神体としてお祀りし、そのご利益非常に大きい御社であるという意味です。
この地方では、この尊称の他に木積宮(祭司は木積家が司ってきた)穂積堂(木積家の姓は本来穂積姓であった)とも申しています。
石切不動明王、石切神社の上之社(かみのしゃ)へ向かう石切神社の参道の途中にあります。
水掛け地蔵を祀ったもので水を掛けて願をかけます。
この場所で病気平癒や家内安全のご祈祷、先祖の供養などもしていただけます。
奥に進むと、病魔災難除け、学問向上の神様として篤い信仰を集めている『穂積殿』があります。
その手前に、小さなカメの池があり、授与所で小指の先ほどのカメをいただいて、お腹に願い事を書いた紙を入れて、神霊水に放します。
すると、カメが石切の大神様に願いを届けてくれるそうです。
大きな石燈籠の屋根から気が生えている、さすが、どんな強固な岩でも何の苦もなく切れ刺しぬくような劔と箭(矢)をご祭神のご神体を持つ石切劔箭神社。
長髄彦との関係
神社の公式な見解には無いが、進藤治によると「石切さんは長髄彦と深いかかわりがある。」「石切さんには長髄彦がお祀りしてある。」等の口伝があるという。
進藤は「石切」の音を i-si-kir・i と分解しアイヌ語で解釈することで、「長髄彦」と訳出可能であることを指摘する。
同じ結論を大山元も指摘しており、「石切」 i-si-kiri はアイヌ語で「その・長い・彼の足」の意味になるという。
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