一言主神社一の鳥居。
杉並木の参道の途中には蜘蛛塚があり、日本書紀に登場する”土蜘蛛”に由来するものとか。
二の鳥居。
この一言主神に関しては、『日本書紀』[原 3]『古事記』における雄略天皇との対面説話が知られる。
両書によれば、雄略天皇が葛城山中で狩猟をしていた際、天皇と同じ姿の一言主神(一事主神)が現れ、天皇と狩猟を競ったという。
ただし、『古事記』では天皇が大御刀・弓矢・百干の衣服を神に献じて拝礼したとして一言主神の方が優位に記述されている一方、『日本書紀』では天皇が物を献じることはなく一言主神と天皇が対等に近い立場で記述されている。
『古事記』の方が原初的と見られることから、『古事記』の説話は一言主神の奉斎氏族とされる葛城氏が皇室外戚として強い勢力を持った頃の政治情勢を反映したもので、『日本書紀』の説話は葛城氏勢力が衰えて一言主神の地位も低下した頃の情勢を表すと考えられている。
雄略天皇と一言主の神の出会った場所というのが金剛山に残されています。
記事はこちらにあります。「金剛山樹氷散策」
さらに時代が下り、平安時代の『日本霊異記』や『今昔物語集』では、一言主神は役行者(役優婆塞/役小角)によって金峰山・葛城山の間に橋を架けるために使役され、さらに役行者の怒りにふれ呪縛された、と記されるまでに神威の低下が見られる。
なお、この使役の時に一言主神は自らの顔の醜さを隠して昼は働かず夜のみ働いたとされるが、その説話を受けて松尾芭蕉は『笈の小文』に歌を残している。
やまとの国を行脚して、葛城山のふもとを過るに、よもの花はさかりにて、峯々はかすみわたりたる明ぼののけしき、いとど艶なるに、彼の神のみかたちあししと、人の口さがなく世にいひつたへ侍れば、
猶(なお)見たし 花に明行(あけゆく) 神の顔
拝殿前にはイチョウの古木(乳銀杏)があり、樹齢1,200年ともいわれ神木とされている。
実に美しい並木だ。
関連記事