法清寺(かしく寺)、創建は不明。
1911年(明治44年)に再建された伽藍は戦災をまぬがれ現存している。
境内には江戸時代中期に存在した遊女・かしくの墓所として広く知られている。
かしくは北の新地の遊女で、日常は従順な女性でしたが、ひとたび酒が入ると人が変わって乱れたといいます。
寛延2年(1749)のある日、彼女の兄が諌めたところ逆上し、あやまって兄を傷つけて殺してしまいました。
かしくは死罪を申し渡され、市中を引き回されましたが、その途中「油あげ」を所望し、それで乱れ髪をなでつけて身を整えてから、斬首されたといわれています。
劇作家にして小説家の長谷川幸延さんの手になる「酒の咎 引き受け申しそろ かしく」という石碑。
禁酒、断酒を誓う人たちの願いがしゃもじに込められている。
この事件はすぐに芝居に仕立てられて評判をよびました。
後になってかしくの墓石をかき取り、せんじて飲めば酒乱がなおるという風評がたち、数多くの参詣人で賑わったといわれています。
法清寺では、命日の3月18日に毎年かしく祭りの法要が行われています。
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