大阪府八尾市の、西に向かって出っ張り、大阪市平野区に囲まれてほぼ飛び地のようになっている地域は、旧渋川郡竹渕(竹淵)村にあたる。
竹渕は正式な住所としては現在「たけふち」と訓ませるが、地元では古来「たこち」と称している。
竹渕の由来
なんと神武東征に遡る。
のちに神武天皇となる「磐余彦」、日向国を出発してから何年もの歳月を費やして、大和国に入るべく河内国に上陸。
まずは生駒山地と金剛山地の境目「龍田越え」を敢行するが道険しく断念。
次に「暗峠越え」もしくは「磐船街道越え」を目論んで、生駒山地沿いを北上した。
現在の東大阪市日下あたりで、待ち構えていた長髄彦軍と遭遇し戦となる。磐余彦軍は完敗し退却を余儀なくされた。
長脛彦は執拗に追いかけてくる。おそらくは古大和川沿い、平野川沿いを逃げただろう。
ちょうど、この地に来た時、大きな竹藪を発見。磐余彦軍は竹藪に隠れ込む。
長髄彦も竹藪に入り、磐余彦を探す。
竹藪の中には大きく深い淵があった。
さてはこの中に潜んでいるのだろうと、長髄彦はその淵に部下を潜らせて探させた。
しかし、磐余彦はどこにもいない。
長髄彦は、これは神の仕業かと恐れおののいて退却していった。
竹渕神社由来書 より
磐余彦はこの地にしばらく逗留した後、熊野から大和に入るべく東征を続けたという。
前述のように、古代の竹渕には水運に従事する氏族が住んでいたといわれる。
彼らが水の神を祀ったのが竹渕神社の始まりかもしれない。
龍神の伝承はその名残りではないだろうか。
道路一つ隔ててこちら側は大阪市平野区、竹渕神社は大阪府八尾市。
『和名抄』では「多加不知たかふち」と訓ずる。
その南端に、竹渕神社は広い社域を横たえている。
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