現存天守はいかにして生き残ったか
戦国時代には日本には3~5万もの城があった。
天守を備えた城も多かったが、現在残る天守はわずか12だけ。
なお、廃城令の際、藩主が佐幕派だったので城を破壊されたという伝説が各地にある。
しかし、これは全く根拠がない。
佐幕側の松山城、松江城、姫路城などは全国的に見ても、最も保存状態の良い城なのだから、「賊軍だったから」といった伝説は、知恵のない人の被害妄想から出た思いつきで何の根拠もない。
松江城の天守は五層六階の望楼型天守で、高さは約30メートルあり、その平面規模は現存12天守の中では、姫路城天守に次ぐ規模を誇る。
幾多の危機を乗り越えて生き残る、幻の12天守はまさに奇跡の城。
幾多の危機を乗り越えて生き残る、幻の12天守はまさに奇跡の城。
昔日の姿を今に伝える、貴重な遺構なのだ。
弘前城
松本城
丸岡城
犬山城
彦根城
姫路城
松江城
備中松山城
丸亀城
松山城
宇和島城
高知城
戦国時代に数多(あまた)あったはずの城のほとんどは、いまや跡形もなく廃絶され、残っているとしても、ごくわずかの部分だけであるのが普通だ。
そんな城の受難史を辿ってみる。
第一は「移築説」
たとえば、安土城は本能寺の変の際に丸焼けになったわけではない。
焼けた部分の多くは再建された。
だが、近江八幡城の建設によって、城も町もすべてがそちらに移された。
清州城も、名古屋城の建設のために跡形なく消えた。
安土城大手口の石段。
両脇には深い溝がある。
1582年(天正10年)、家臣明智光秀による信長への謀反(本能寺の変)の後まもなくして何らかの原因によって焼失し、その後廃城となり、現在は石垣などの一部の遺構を残すのみだが、当時実際に城を観覧した宣教師ルイス・フロイスなどが残した記録によって、焼失前の様子をうかがい知ることができる。
第二の破壊は、元和偃武(げんなえんぶ)による「一国一城令」によってである。
それまで数万もあった城が一気に170まで激減する。
このとき、高岡、松坂、八代、名護屋など第一級の名城で廃絶されたものも多い。
丸亀城もひどく破壊されたが、のちに、山崎氏や京極氏の居城となることで復活した。
高岡城 前田利長騎馬銅像
長烏帽子形の兜は前田利家の鎧で有名。
代々加賀藩主のシンボルともなったであろう甲冑です。
元和偃武(げんなえんぶ)とは、慶長20年(元和元年・1615年)5月の大坂夏の陣において江戸幕府が大坂城主の羽柴家(豊臣宗家)を攻め滅ぼしたことにより、応仁の乱(東国においてはそれ以前の享徳の乱)以来150年近くにわたって断続的に続いた大規模な軍事衝突が終了した事を指す。
江戸幕府は同年7月に元号を元和と改めて、天下の平定が完了した事を内外に宣した。
第三の災難は、明治六年(1873)の廃城例である。
これには、新政府の側に、封建制の遺物としての城を破壊することで新時代への意識を高めようという考えがあった。
だが、それ以上に、無用の長物となった城の維持費が大変だという意識もあった。
巨大建築である城の建物や石垣、堀などを維持するには、かなりのコストがかかる。
江戸期でも、もともと中村氏十八万石の居城として築城された米子城は、鳥取藩家老・荒尾氏に与えられていたが、一万五千石の所領では大きな城を維持することは難しい。
そのため、米子の商人に懇願し、献金してもらって凌いでいた。
明治になって城は家来に下げ渡された。
だが、彼らも維持できず、米子の町に寄付しようとしたが、無用として断られた。
そこで、哀れ風呂屋の薪として払い下げられたのである。
ほとんどの建物が撤去されるしかなかったのは、経済の論理としてやむを得なかった。
そんな中で、とくに地元で愛着を示す人が多かったものについては、それぞれに経済的な負担の担い手を見つけられれば存続したというわけだ。
姫路城のように、撤去費用すらなく放置されて残った天守もあれば、松本城のように、文化的価値を見出した地元有力者の尽力により守られた天守もある。
天守閣だけが残ったところが多いのは、無駄は承知でもシンボルとして維持しようということになったからだ。
また、櫓が一つだけなどというのは、何か使い道があったのである。
御殿は、そこに住む金持ちを見つけようもなく廃却されたものが多い。
だが、名古屋城のように離宮として一時でも使われたがゆえに救われた例もある。
同じく和歌山城の御殿は大阪城に移されて、そのまま使われた。
また、学校などに使われたものも稀にある。
第四の受難は、戦災による焼失である。
それでも、廃城令で60以上現存した天守は、徐々に姿を消し、20天守にまで減少。
昭和20年(1945)の第二次世界大戦の空襲で、原爆で跡形もなく吹っ飛んだ広島城をはじめ、岡山城、福山城、和歌山城、大垣城、水戸城、名古屋城の7天守閣が失われた。
大阪城、仙台青葉城なども大きな被害を受けた。
翌年松前城が火災で焼失したため、12天守だけになってしまった。
また、お堀が失われたのは、軍の施設として使うために、細かく曲輪(くるわ)に分けられていると不便だということから整地されたものが多い。
金沢城、三十間長屋から本丸石垣沿いに鶴丸倉庫の方へ下ると見えるトンネル。
第九師団駐屯当時の、弾薬庫への通路が付けられている。
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