来島村上氏の拠点 来島城

四国
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来島城は来島瀬戸に浮かぶ周囲1km程の小島に築かれている。

現在も人が住んでおり、定期船が運航され簡単に渡ることができる。

波止浜から出た船は来島までわずか5分という短い船旅だ。

出航するとすぐに来島に向かって真っ直ぐに船が進む。

舟は全長7,8m位か、乗車定員は20名程度で、屋根のついた客室があるが、乗船時間が短いせいか、だれも中に入らず、外のデッキにある椅子に座る。

天正10年(1582年)、来島氏は河野氏から織田信長側についたため、毛利氏および河野氏による攻撃を受け、村上(来島)通総は備中国にあった羽柴秀吉の下に逃走した。

来島氏の来島復帰は本能寺の変後の天正12年(1584年)で、秀吉と毛利氏の和睦の結果である。

その後四国征伐に通総が先鋒として伊予を攻め、通総は秀吉から風早郡1万4千石を与えられた。

関ヶ原の戦いの後、西軍に属した来島長親は所領を没収された。

のちに来島氏は豊後国玖珠郡森で大名に復帰したが来島に戻ることは無く、来島城は廃城となった。

河野水軍伊予統治の拠点 湯築城の記事は此方にあります。
河野水軍伊予統治の拠点 湯築城
湯築城は湯の街道後のど真ん中にあるがあまり知られていないのでは、しかも100名城 … 続きを読む →


八千矛神社。

伊予河野氏が来島城の守り神として建立。

今も綺麗に整備されて守られています。

魚を生きる糧にしていた島ならではの石碑。

築城は15世紀中頃とみられる。

村上義顕の三男吉房が来島に分家した際に築いたもの。

吉房子孫の来島村上氏(久留島氏・来島氏)は、6代約160年にわたって来島城を本拠地とした(戦時の防衛拠点としての居城であり、平時の居館は対岸の波方浦に存在した)。

高さはさほどないものの、急な階段を上がると村上神社が祀られている。

すでにこのあたりから城域となっており、ここから東に進むと、心月庵という旧館跡がある。

三の丸は平坦な郭だが、二の丸は北の本丸に向かって登り勾配がついている。

本丸跡に到着。

来島城は島全体が要塞化された水軍城だ。

城の主要部は島の西側に南北に伸びた山で、北端の鉄塔のある所が主郭、南に向かって二郭、三郭と連なっている。

足下は来島海峡の激流だ。

島の北側にある岩礁には桟橋を支えていた柱の穴(ピット)が無数に現存しており、干潮時には島を一周することができるようである。


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来島城へのアクセス、行き方歩き方

愛媛県今治市来島
0898-36-1608(今治市文化振興課)

JR波止浜駅より徒歩で約30分 波止浜港へ、今治駅前バス停より(せとうちバス 今治-渡し場経由波方港北線)で渡し場下車 徒歩ですぐ

今治北ICより車で約10分 波止浜港へ、波止浜港渡船(人のみ)で約5分