早春の上賀茂神社

賀茂御祖神社(下鴨神社)とともに古代氏族の賀茂氏の氏神を祀る神社であり、賀茂神社(賀茂社)と総称される。
賀茂神社両社の祭事である賀茂祭(通称 葵祭)で有名である。

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一の鳥居を潜ると遥か彼方に二の鳥居が見える、かなり遠い
葵祭では斎王代らが腰輿(およよ)を降りてここより徒歩で参進する。

神社内には神馬として「神山号」(こうやまごう)が飼われている。
日曜、祝日には二の鳥居前の神馬舎で、この馬をみることができる。

上賀茂神社は日本の競馬発祥の地でもある。
競馬会神事(けいばえしんじ)といって毎年5月5日、2頭の馬にそれぞれ騎乗し、走りながらその乗り方・式・作法を奉納するのだ。

二の鳥居は、御所の方角に向かって建てられているそうです。
それで一の鳥居とは向きが違っているのです!
鳥居の奥に見佇むのが細殿で、その手前に円錐形の一対の立砂があります。

上賀茂神社 細殿
細殿は、古くから天皇や斎王、上皇の参拝の際の著到殿として使われていました。

神社の案内板には以下の説明がある。

立砂(たてずな) 盛砂(もりずな)とも云い、「たつ」とは神様のご出現に由来した言葉であり神代の昔ご祭神が最初に降臨された本殿の後2kmにある円錐形の美しい形の神山(こうやま)に因んだもので一種の神籬(ひもろぎ)
 
即ち神様が降りられる憑代(よりしろ:依代)である。
鬼門・裏鬼門にお砂を撒き清めるのは此の立砂の信仰が起源で清めのお砂」の始まりである。

料理屋などの軒先で見られる盛り塩はこの立砂が原型。

ここで立砂の頂部を良く見ると、松葉が差し込まれていることがわかる。
これについて上賀茂神社ホームページに次のような説明がある。

「(ここに二つ並んでいる「立砂」は、陰陽思想の影響から細殿に向かって左が陽で、右が陰となっております。)

上には松葉が立っています。
向かって左が雄松、右が雌松といわれ、左が3本(陽数)の松葉、右が2本(陰数)の松葉になっております。

葉が2本の松はどこにでもある松。
3本の松は二の鳥居を入った左の玉垣沿いに一本あります。
この松はたいへん珍しい松で何処にでもある松ではありません。・・・」

樟橋(くすのきばし)
楼門脇の御手洗川に架かる橋は、石橋に見えるのですが、樟(楠木)の化石(珪化木)が2枚並べられたものだそうです。

また、この橋は、長寿を祈願する人が渡るため長寿橋と称されています。
毎年1月7日に行われる白馬奉覧神事では、この橋を白馬が渡って退下していきます。

年の始めに白馬(青馬)を見ると一年の邪気が祓われるという故事に則った宮中の儀式である白馬節会(あおうまのせちえ)を神事化したものです。

因みに、珪化木は、古代に生い茂っていた樹木が地中に埋もれ、圧力を受けることによって木の組織の中にケイ酸を含んだ地下水が浸入し、樹木が二酸化ケイ素に変化することで石のように硬くなったものです。

ニューアイテムなのでしょうか、末社 橋本社前の桂の樹には小さな筒状の飾りが鈴なりです。

これは「願い筒」と言い、葵の紋の「願い紙」に思いを認めて成就を願うものだそうです。
絵馬のようなものですが、カラフルで上品に映ります。

一ノ鳥居・二ノ鳥居から境内へ。 さらに細殿(ほそどの)の背部にある小川を渡ると、左右に回廊をめぐらした朱塗りの二階建ての門、重要文化財の「楼門」が見えます。

本殿や権殿(ごんでん)を背にして建つ楼門は、威風堂々とした姿のなかにも雅やかさをたたえています。

玉橋の先に岩上(がんじょう)と呼ばれる磐座石が鎮座しています。
立札に書かれた難解な文書を噛み砕いて表現すると次のようになります。

「秀峰 神山と共に賀茂信仰の原点であり、古代祭祀の形を今に伝える場所。
また、神と人との心の通路(かよいじ)でもあり、『気』の集中する場所でもある」。

片山御子神社(片岡社)は、上賀茂神社の御祭神「賀茂別雷大神」の母君である「玉依比売命」を祀ったお社です。

玉依比売命は賀茂族で最も権威の高い女性で、「賀茂別雷大神」に仕えて祭司を司っておられたと言われています。

片山御子神社は第一摂社として上賀茂神社の祭礼でも、まず最初に祭りを行うのが恒例になっています。

片山御子神社は「縁結びの神様」としても古来から有名で、紫式部が何度もお参りしたことでも知られています。
紫式部は、片岡社にちなんでこんな和歌を詠んでいます。

   ほととぎす 声まつほどは 片岡の
     もりのしづくに 立ちやぬれまし

           (新古今和歌集:第三巻 夏歌)

「和歌の意味」
ホトトギス(将来の結婚相手の声)を待ちわびる間、片岡社の木の下に立ち、朝露に濡れていましょう。

王朝恋物語の作者にも恋に想い悩むことがあったのでしょうか。

「須波神社」は、阿須波神、波比祇神、生井神、福井神、綱長井神を祀っている延喜式の古いお社です。(重要文化財)
社前には癒しの神様と表示されています。

屋根の上に重そうに苔を戴いた趣深い川尾社。
社の向かいを流れる御物忌川は、神事に使う祭器などを洗い清める場として使われていた清廉な川です。

川尾社は、御物忌川を神格化した神様の罔象女神(みづはのめのかみ)を祀った末社です。
罔象女神は、罪穢れを流してくれる瀬織津媛(せおりつ)の別名とされ、水の神様として灌漑用水、井戸や泉を守る神様です。

御物忌川を守護し、また水の流れによって迷いを流し取り除いてくれるとも言われています。癒しの神としても知られ、精神安定や傷心を癒してくれる神様でもあります。

上賀茂神社の摂社「新宮神社」は本殿の東側にあります。
「新宮神社」へは楼門を入らず、細い脇道を登っていきます。

通常は新宮門が閉ざされているので、門から拝むことしかできません。

新宮門の前にある、伊勢神宮遥拝所。
遥拝所とは、 遠く離れた所から神仏などを遥かに拝むために設けられた場所です。

下鴨神社にあって上賀茂神社にないものが、舞殿。
その代わりになるのが、この橋殿です。

そのため、橋殿は舞殿とも呼ばれたりもします。
現在は、人形流し(ひとがたながし)という神事がここで行われます。

毎年6月30日に一年の残り半分の無病息災を祈願します。
夏越の大祓で行われる神事のひとつです。

賀茂祭では、勅使の座は御手洗川の上に架けられたこの橋殿に設けられます。
勅使による祭文奏上、幣物奉納、神禄の葵の受理も全てこの川の上で行われます。

こうして見ると、この御手洗川が神と人の結界と考えてもよいのではないでしょうか?

禰宜橋(ねぎばし)、御手洗橋に架かる橋、橋殿の左手にある。
2003年に架けられた。
神事の際に神職が通る。

祝橋(ほうりばし)、御手洗橋に架かる橋、橋殿の右手にある。

細殿に向かって右隣にあるのが土舎(つちのや)です。
神主以下、社司の著到殿であった建物で、現在は祓所(はらえど:お祓いをする場所)として使われています。

「北神饌所」はかつて、政庁として使用されていたようであり、重要文化財に指定されている。

摂社「奈良神社」は上賀茂神社境内を流れる御手洗川が奈良の小川に分かれた辺りに鎮座しています。

庁ノ舎の南にある校倉(1628年、重文)は、藤原定家の1190年頃の日記に御器御倉と出ているそうです。

藤原家隆歌碑 
風そよぐ ならの小川の 夕暮れは
   みそぎぞ夏の しるしなりける

          従二位家隆(98番) 『新勅撰集』夏・192

楢(奈良)の小川はナラ林を流れる川だから楢の小川と言います。
馬酔木が今を盛りと咲いています。

御手洗川は、源流は賀茂川、上賀茂神社の境内に近づくと御生所川・御手洗川と名を変える禊のための聖なる川で、一方、御手洗川の一部は楼門前で御物忌川となり、御手洗川と合流して楢の小川となり、境内を出て社家町に入ると明神川(写真)に、社家町の前で分かれた一つは再び賀茂川に戻ります。

下鴨神社の御手洗川は水源が御手洗池に流れ込む湧水です。

向かいに「岩本社」が見えます、右手下流に渉渓園があります。

「岩本社」は、底筒男神、中筒男神、表筒男神を祀るお社で、海上安全守護の神とされています。

また岩本神社は平安時代から歌人の守り神として信仰された神社でもあります。

徒然草には賀茂の岩本・橋本は、業平・実方なりと書かれており、岩本神社は在原業平、橋本神社は藤原実方を祀った神社だとされています。

ここは渉渓園と呼ばれる500坪程の庭園。
古くは、神宮寺と晴池という池があった場所ですが、神仏分離令により廃寺となり、池も埋められました。

池の石を鍬で叩くと雨が止むと言われ、大田神社にある雨乞いの石と対になっていたそうです。
この日本庭園は、1960年に皇族 浩宮親王のご誕生を祝い、かつて上賀茂神社で行われていた曲水宴を復活させるために造られた庭園です。

中根金作が造庭し、平安時代末期の庭園を模し、風趣に満ちた雅な姿を今に伝えています。
庭園を流れる小川は、御手洗川の参流 沢田川から引かれています。

ここでは、1182年に神主 重保が催したことに起源を発する賀茂曲水宴が営まれています。
管弦の弾吹奏の下、詩歌の吟詠が催され、平安朝の川遊びが再現されています。

渉渓園内に佇む賀茂山口神社の舞殿です。
その裏手に少し顔を覗かせているのが本殿です。

舞殿には、神聖な切り絵細工 彫り物(えりもの)と呼ばれる葵の透かし切り絵の御幣が廻らされています。

願い石(陰陽石)、渉渓園にかつて龍が棲んだという池があり、池底より出土した。
石には陰と陽が融合しているとされ、両手で同時に石を触れ、賀茂山口神社に参拝する。

「睦(むつみ)の木」と呼ばれる樹齢300年以上のスダジイの木のズームアップ。
ひとつの根から何本もの幹が伸びている様子から、ひとつに結ばれた仲睦まじい家族を象徴し、家族の絆や結びつき、家内安全を見守るという縁起の良い巨木です。

因みに、スダジイは、ブナ科シイノキ属の常緑広葉樹。
一般的にはシイノキと呼ばれます。
タブノキと共に日本の常緑広葉樹林を代表する樹木です。

シイタケ栽培の原木としても利用されているそうです。

楽屋 
寛永5年(1628年)造替 重要文化財
神仏習合時代供僧方の用いたもの一切経楽屋ともいう(現地案内板)

外幣殿 (重文)、御所屋、馬場殿ともいう。
1628年に造替、1880年に改修された。

檜皮葺、入母屋造。
行幸時の天皇の到着殿。

梶田神社は、旧参道の入口に祓戸神として祀られた社です。
ならの小川’の東岸、山森社のすぐ南にある小祠です。

上賀茂神社に、お参りの際には、まず梶田神社でお祓いを受けてから、本殿に参拝するのが正しいお参りの仕方です。

瀬織津姫(せおりつ)を始めとする祓戸の4神が、大祓によって祓われた罪穢れをならの小川から大海原に流してくれます。

山森社
祭神--素盞鳴神・奇稲田姫神・田心姫神
一の鳥居を入った参道の右手(東側)、ナラの小川の東岸に鎮座する小祠(一間社流造・檜皮葺)。

式内社調査報告(1979)によれば、古くは北区西賀茂山ノ森町(上賀茂社の西北約1.1km附近)にあった境外末社・“山森神社”(上記三座・山守社ともいう)が当社の前身で、賀茂別雷神社御由緒調書には「鎮座年代不詳、往古此地の産土神として鎮祭せられたりしを、此地が賀茂社領となりたる以後、当社の末社として祀ることとなりし」とあり、その後(時期不明)、現在地に遷され境内末社とされたという。

社伝では、本殿北北西にある神山に降臨し、神武天皇の御代(678年)に賀茂山の麓の御阿礼所に賀茂別雷命が鎮座したと伝えられています。

『山城国風土記』逸文では、玉依日売が加茂川の川上から流れてきた丹塗矢を床に置いたところ懐妊し、それで生まれたのが賀茂別雷命で、兄玉依日古の子孫である賀茂県主の一族がこれを奉斎したと伝えられています。

ある神話があります。
この辺りを支配する豪族 賀茂氏一族の姫「賀茂玉依媛命」がならの小川で禊を行っていると、1本の丹塗矢が流れてきました。

姫がその矢を手にすると懐妊し、男の子を授かりました。
不思議に思った姫が成長した御子に父親は誰かと問うと、「天の神」と答えました。
その時大きな雷が鳴り響くと同時に、御子は天へ昇って行ったのです。

悲しみに暮れた姫が「御子に会いたい」と願うと、夢の中で、「御子に会いたいならば、葵の葉で冠を編み、祭をして待て」とお告げがありました。
姫がお告げ通りにしたところ、御子は神山に降り、再会が叶ったということです。

京都3大祭のひとつ 葵祭では、2人の再会を取り持った葵の葉を祭り飾りに用います。葵祭は、今から1500年前から続く、京都でも歴史ある祭で、平安貴族の衣装を身に纏った人々や牛車の大行列が京都御所から下鴨神社へ、そして上賀茂神社へと向かいます。
この祭では、7500本もの葵の葉が衣装や牛車に飾られます。

実は、上賀茂神社にも下鴨神社の糺の森に匹敵するような鬱蒼とした広大な森が本殿北側にあったそうです。
しかし、第二次大戦後、米軍GHQに接収されて米軍用ゴルフ場になり、現在は京都ゴルフ倶楽部上賀茂コースになっています。

第六軍第一軍司令部が上賀茂神社の敷地内にゴルフ場を建設する計画を打ち出し、ハロルド・シェフィールド少佐を中心にして設計を赤星四郎氏に依頼したそうです。

神社側は神が降臨する聖域として計画の変更を懇願しましたが、軍は譲らず、戦後初のゴルフ場として工事が始められました。
境内の樹木を伐採して工事が進行する中、マッカーサー元帥が中止命令を出して一旦工事が停まるのですが、少佐は「平和の象徴としてゴルフ場を建設する」という大義名分を掲げて工事を続行。

実際は、少佐が大のゴルフ好きだったのが一番の理由だと言われています。
戦後の混乱期に様々な思惑が重なり、神社という聖域内に類稀なるゴルフコースが造られることになったそうです。

「賀茂別雷神」怒りの落雷がゴルファーを襲うような悲惨なことがなければよいのですが…。
プレー前には参拝が欠かせません!?

客殿

二葉姫稲荷神社は、上賀茂神社の摂社 片山御子社の神宮寺の鎮守社だそうです。
神宮寺が移転したため、鎮守社だけが残されました。

ご祭神は八嶋龍神。
元々、神宮寺に晴池という池があり、そこに棲んでいたのがこの龍神。
池を埋められ、近所の村民の夢に再三現れたそうです。

それで祟りを恐れた村民がここに祀ったそうです。
狭い神域に「稲荷神社」、「金毘羅宮」、「天之斑駒社」などの祠が隙間なく立ち並び、間近で対峙するのが怖いような雰囲気です。

「市街が一望」との誘い文句で上ったのですが、眼下には普通に住宅街の屋根が広がり、一望とまでは…。

むくの木の古木

明神川ではカモのツガイガ仲よく朝食中です。

明神川沿いにある「藤木社のクスノキ」。
幹周/4.20m、樹高/10m。
説明板によれば樹齢500年。

藤木社(ふじのきのやしろ)は世界文化遺産で有名な上賀茂神社(賀茂別雷神社)の末社です。
祭神は瀬織津姫神(せおりつひめのかみ)で、賀茂の社家(神官の家)が続く明神川沿いにあります。

「奈良(楢)の小川」が神社の境内を抜けると東の方角に流れを変え明神川となる。

東南側に明神川に沿って重厚な土塀の続いている独特の街並みが見られる。
これが「社家町」といわれているところで、京都市上賀茂伝統的建造物群保存地区として国から指定されている。

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上賀茂神社へのアクセス、行き方歩き方

住所:京都府京都市北区上賀茂本山339
電話:075-781-0011

地下鉄「北山駅」から市バス「上賀茂神社前」すぐ、またはJR「京都駅」から市バス約40分