弘文天皇 長等山前陵

歴史を訪ねる旅
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近江遷都から4年後に天智天皇崩御、その翌年に起こった壬申の乱で、天智天皇の子、大友皇子は大海皇子に敗れて自殺、近江朝廷はわずか5年で崩壊。

陵入り口に立つ案内碑、弘文天皇陵へ続く道は細い一本道だけで、とてもわかりにくい。
観光施設ではないのでそれでいいのかもしれないが少し寂しすぎる。

大津市役所裏手の昼なお暗い森の中に、ひっそりと弘文天皇陵は建っています。

そこは,大友皇子の屋敷跡ではないかとする説もある。。

大友皇子は長らく皇統に認められなかったらしく、日本書紀にもその名がありません。

しかし、明治時代初期になってようやく39代弘文天皇と追称される。

それからすぐに、長等山麓の一古墳が陵墓に選定され、死地である「山前(やまさき)」の名をとって長等山前陵(ながらやまさきりょう)と命名され、現在にいたる。

天智天皇の第一皇子。母は伊賀采女宅子娘(いがのうねめ・やかこのいらつめ)。
天智後継者として統治したが、壬申の乱において叔父・大海人皇子(後の天武天皇)に敗北し、首を吊って自害。

正妃:十市皇女(天武天皇皇女) 葛野王 – 淡海真人・朝臣の祖(→淡海三船)

妃:藤原耳面刀自(藤原鎌足女) 壱志姫王

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弘文天皇 長等山前陵へのアクセス、行きかた歩き方

大津市御陵町3
TEL:077-521-2100 大津市歴史博物館

京阪電鉄/石山坂本線 「別所駅」 下車 徒歩 5分