近つ飛鳥博物館はエリア全体が遺跡博物館ともいわれる陵墓・古墳の宝庫「近つ飛鳥」の中核的文化施設として、1994年に開館した。
古代の国際交流と国家の形成過程をテーマとする。
散策路の途中の樹冠から見える博物館、上空から俯瞰すると前方後円墳を模した形をしているという。
建物は窪地に位置しているため、周囲を一望できるように段状に隆起させた。
周辺には梅林や生命の源である水をたたえた池があり、風土記の丘の散策路が巡る。
「黄泉の塔」がそびえる階段状の建物は安藤忠雄の設計。
彼が自身の代表作として挙げるこの作品は、第26回日本芸術大賞他を受賞している。
この塔は「黄泉の塔」と呼ばれ、石室を縦にして逆さにしたものをイメージしたものだという。
内部は空洞になっている
古墳の葺石を模したか、エントランス前の階段。
駐車場から建物を見る。
駐車場からは長いアプローチが続く。
博物館内部へはこの建物の特徴的な階段状の屋上広場を中腹まで登ってゆくか、パーキングから延びる長い長い道に沿って歩いてゆきます。
二つの壁で構成された通路が階段広場を貫く
喫茶室からの眺め、額縁構造のその向こうには咲き始めた桜。
建物内部に入ると暗がりが拡がる。
出土品は古墳の中に収められているときと同様な姿で展示され、人びとは古墳内部に入っていくのと同様な感覚を体験できる。
右側画像は中庭に設置された鹿谷寺石塔の模型。
大阪府太子町にあるこの鹿谷寺(ろくたんじ)跡は規模こそ小さいが、大陸の石窟寺院の流れをくむユニークな山岳宗教遺跡だ。
8世紀の南花田遺跡出土の墨書土器、中々の芸術的作品だ。
美園遺跡の高床の家形埴輪。
屋根の鰭飾りの表現は鰹木などと同じく格式の高い建物をあらわすかざり。
線刻による盾の表現。
外面と内面の床・壁にはベンガラが塗られていた。
甲冑出土状態再現 野中古墳 5世紀。
円筒埴輪と線刻画。
巫女埴輪頭部 仁徳陵古墳 5世紀。
葬られた当時の姿勢を良好に保った状態で出土した馬、古墳時代中期(5世紀後半)の馬の全体像がうかがえる。
年齢は5~6歳、肩までの高さは125cmで日本在来馬でいう御崎馬の小さいクラス。
修羅は古代に石を運ぶソリ、二股に分れたア力ガシの一本の木を加工している。
展示している大修羅は長さ8.8m、重さ約3.2tの大きさ。
1500年も地中に埋もれ、発見された時は大量の水を含みブヨブヨ。
それを14年の歳月をかけ保存処理をする。
その最先端技術のすばらしさもさることながら、日頃感じることのない歳月の長さ..。
ちなみに「近つ飛鳥」という名称は『古事記』のなかの記述に由来します。
『古事記』によると、墨江中王の乱の折、後に反正天皇となる水歯別命がみずからの移動径路にもとづいて現在の南河内一帯を「近つ飛鳥」、奈良県明日香村の地を「遠つ飛鳥」と呼ぶ。
当館の位置する河南町はまさしくその「近つ飛鳥」の真只中。
近つ飛鳥と名付けられた、大阪府南部に位置するこの地域は、日本でも有数の古墳群が存在するところである。
ここには4基の天皇陵を筆頭に聖徳太子墓、小野妹子の墓など、二百数十基の古墳群が存在し、日本の歴史の発生期における中心的な場所である。
博物館の周辺には大規模な群集墳も点在しており、古墳によっては、そのまま保存・展示されているものもあります。
館内だけでなく、館外に点在する群集墳も見てまわりながら、大阪の古代史に思いを馳せてみたい。
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近つ飛鳥博物館へのアクセス、行き方歩き方
大阪府南河内郡河南町大字東山299
0721-93-8321
近鉄長野線 富田林駅または喜志駅から金剛バス石川線(富田林駅)、阪南線(喜志駅)「阪南ネオポリス行き」に乗車し、終点「阪南ネオポリス」バス停下車すぐ。