南北朝以来の名城 白河小峰城

日本100名城
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撮影時(2014.04.15)には福島地方は桜満開でした。
しかし、白河小峰城は2011年3月11日に発生した東日本大震災により石垣等が崩壊したため、三重櫓も含め本丸は立入禁止となっている。

トイレ休憩で立ち寄った安達太良SAからは安達太良山がよく見えていました。
日本百名山およびうつくしま百名山に選定されている。

高村光太郎の智恵子抄で有名ですね。

SA内の桜も満開です。

白河小峰城は東北地方では珍しい総石垣造りの城で、盛岡城、若松城とともに「東北三名城」のひとつにも数えられている。
クリックして拡大して見ていただくと崩壊した石垣が見えると思います。

崩落前の本丸石垣。

二の丸広場から眺める石垣と満開の桜。

白河小峰城は、南北朝時代の1340年(南朝:興国元年、北朝:暦応3年)に、結城親朝が小峰ヶ岡に築城して小峰城と名づけたのが始まりとされる。

1590年(天正18年) 城主の白河結城氏が豊臣秀吉の奥州仕置により改易されると、その後、この地は会津領となり、蒲生氏、続いて上杉氏、再度、蒲生氏が支配した。

1627年(寛永4年) 丹羽長重が10万石で棚倉城(福島県棚倉町)から移封され、幕命により、寛永6年より城郭の大改築に着手、4年の歳月を費やして1632年(寛永9年)に完成した。

その後丹羽氏、榊原氏、本多氏、奥平松平氏、越前松平氏、久松松平氏、阿部氏と7家21代の城主の交代があったが1867年(慶応3年)最後の阿部氏が棚倉に移封された後、白河藩は幕領となり城郭は二本松藩丹羽氏の預かるところとなる。

1868年(慶応4年)、白河小峰城は戊辰戦争で奥羽越列藩同盟軍と新政府軍との激しい攻防の舞台となり、5月1日、大半を焼失し落城した。

城跡には曲輪・土塁・石垣・水堀を残すのみだったが、1991年(平成3年)に本丸跡に三重櫓(天守に相当)が、1994年(平成6年)に前御門が当時の史料に基づいて復元された。

三重櫓(天守に相当)付近はクレー車が入り、工事が行われており立ち入り禁止です。
生活関連施設でないため復旧は後回しになりまだこれから2~3年かかるという。

このお城こそ、列藩同盟側の瓦解の前触れとなる戦いの舞台となったのである。そもそも列藩同盟構想の火付け役は会津藩であるが、会津藩が、他の東北諸藩に範を見せなければならぬところに、この白河城の落城という決定的な事件が起きたのである。

会津藩は大勢の藩士を城に送り込んだ。
そして総督に、あの西郷頼母が起用されたことに、周囲の人々は首をかしげた。

頼母は、会津藩の京都進駐に大反対したことで容保の怒りにふれ、事実上引退の身、それ以前に実戦経験がない。

頼母の起用は、容保の配慮があったとも言われているが、そこがまた古めかしい考えだった。
案の定、白河城はたった一日で落城してしまう。

1991年(平成3年)に本丸跡に三重櫓(天守に相当)が、1994年(平成6年)に前御門が当時の史料に基づいて復元された。
崩落前の姿です。

工事用の塀越しに背伸びして撮った三重櫓と前御門。

おとめ桜の伝説
寛永年間に城の大改修を行った際、本丸の石垣が何度も崩壊したため、人柱を立てることになり、人柱にするのはその日、最初に城に来た者ということに決まった。

すると、最初に来たのは作事奉行の娘「おとめ」だった。
父は必死に「来るな」と手で合図をしたが、逆に「来い」という合図と勘違いしたおとめは人柱にされてしまった。

その後、石垣は無事完成し、おとめが埋められた場所には桜の木が植えられ「おとめ桜」と呼ばれるようになったという。

現在三重櫓のすぐ横に植えられているおとめ桜は二代目で、初代は戊辰戦争の時に焼失している。

「白河集古苑」は南東北の有力武家「白河結城家」に伝わる古文書を展示する「結城家古文書館」と、江戸時代末、最後の白河藩主「阿部家」に伝わる美術工芸品を展示する「阿部家名品館」からなる博物館です。

苑内には芭蕉の「むら尾花句碑」がある。
ほととぎすまねくか麦のむら尾花」は貞享4年(1687年)に詠まれた句で、「むら尾花句碑」は、安部家に代々伝えられている。

白河城(小峰城)大手門跡の礎石
大手門は、白河城の表玄関にあたる門で、平成5年に実施した白河駅前区画整理事業に伴う発掘調査により所在が確認されました。

絵図面との照合から、調査において発見されたのは、門の北側の部分であることも合わせて確認できました。
ここに展示している礎石は、発掘調査により発見されたものを、発見時の寸法のまま移設したものです。

礎石は、上面を平坦に加工し柱を据える中央部分には「ほぞ穴」が設けられ、周囲には柱材のヤニの痕跡が残されています。

このヤニの痕跡から柱の太さは門柱が62×46cm、控柱は33cm角であったことがわかりました。
=== 案内板より ===

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白河小峰城へのアクセス、行き方歩き方

住所:福島県白河市郭内
電話:0248-22-1111(白河市都市計画課)

JR東北本線 白河駅から徒歩約10分。