京の中心にそびえる雅やかな城館 二条城

日本100名城の一つ。
二条城は徳川家康の将軍宣下に伴う賀儀と、徳川慶喜の大政奉還が行われ、江戸幕府の始まりと終焉の場所でもあった。

二条城はかつて平安京の大内裏であった場所の南東端とその南にあった禁園(天皇の庭園)である「神泉苑」跡とにまたがる地にある。
家康による創建時は現在の東側半分のみであった。

二条城・外濠と東南隅櫓。

右は二条城の正門にあたる東大手門。
左は内枡形状の広場にある番所。
東大手門と二の丸御殿の築地塀に囲まれている。

二の丸御殿、桃山時代の武家風書院造りの代表的なもので、車寄(くるまよせ)に続いて遠侍(とおざむらい)、式台(しきだい)、大広間(おおひろま)、蘇鉄の間(そてつのま)、黒書院(くろしょいん)、白書院(しろしょいん)の6棟が東南から北西にかけて雁行に立ち並んでいます。
建物面積3,300平方メートル、部屋数33、畳は800畳あまり敷かれています。

御殿から二の丸庭園へ向かう途中「鐘楼」が二つ。
この鐘は、幕末の政変のとき、二条城と北側の所司代との連絡に使われたもの。
薩摩、長州など朝廷側の動向に備え、非常時の連絡、住民へ知らせにも鳴らされた。

二の丸庭園は「八陣の庭」。
小堀遠州の代表作として挙げられることも多い桃山様式の池泉回遊式庭園。
池には3つの島が浮かぶ。
池の中央やや北よりにもっとも大きい蓬莱島があり、その北に亀島、南に鶴島がある。

本丸櫓門を入ると、曲がりくねった石垣の道。
簡単に侵入者が本丸御殿に行けない工夫が凝らされている。

現在の本丸庭園は明治28年(1895)5月23日、明治天皇が本丸に行幸された折、既存の枯山水風庭園の改造を命じ、約7ヵ月半の歳月をかけ大改造の末、明治29年(1896)に完成した芝庭風築山式庭園です。

天守閣跡への石段。
創建時の天守は、『洛中洛外図屏風』に城の北西部分(現在の清流園の辺り)に望楼型の5重天守として描かれている。
この天守は慶長期に家康によって現在の二ノ丸北西隅に建てられたもので、大和郡山城天守の移築説がある。

この天守は3代家光の時に行われた寛永の大改修時に淀城に再び移築された。
移築された淀城天守は図面が残されているので、慶長度天守の復元は可能である。
これに代わり、新たに造られた本丸の南西隅に、前年に一国一城令によって廃城とした伏見城の天守が移築された。

天守閣跡ら今入ってきた内濠に架かる橋と本丸櫓門を見る。

現在の本丸御殿は、京都御苑今出川御門内にあった旧桂宮邸の御殿を、明治26年から27年にかけて本丸内に移築したもの。

この旧桂宮御殿は京都御所にあった当時、仁孝天皇の皇女和宮が14代将軍家茂に嫁がれる前、約1年8ヶ月にわたって住まわれた建物で、1854年(嘉永7年)内裏が炎上したときにも延焼を免れ、孝明天皇の仮皇居に使用された由緒深い建物です。

北側から内堀、天守台跡を見る。
かつて五重の天守が建っていた場所には、高さ20mの天守台が残る。

北中仕切り門。

北東から本丸櫓門の方を見る。

左手は清流園だが本日は解放されてない。
昭和25年(1950)進駐軍の意向によりテニスコートに転用され、その後、昭和40年(1965)に清流園が造営され、現在に至っている。

この庭園は河原町二条にあった旧角倉了以の屋敷の一部、庭石、庭木等を無償で譲りうけ、更に全国から集めた銘石、篤志家より寄贈を受けたものなどを用い、昭和40年(1965) 完成。
尚、河原町二条の旧角倉了以の屋敷は現在はがんこ二条苑として使われている。

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二条城へのアクセス、行き方歩き方

二条城公式サイト
住所:中京区二条通堀川西入二条城町541
電話番号:075-841-0096

JR京都駅から ⇒ 市バス 9・50・101号系統  ⇒ 「二条城前」下車
阪急 烏丸駅から ⇒ 市バス 12・101号系統 ⇒ 「二条城前」下車
阪急 大宮駅から ⇒ タクシー、約5分
京阪 三条駅で地下鉄東西線「三条京阪駅」に乗り換え ⇒ 「二条城前駅」下車

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