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現在私は日本城郭協会により2006年に選定された「日本100名城」に基づいて訪問を続けている。

「日本100名城」は各都道府県1城以上、5城以内の選定となっており、選定基準として
1.優れた文化財・史跡であること
2.著名な歴史の舞台であること
3.時代・地域の代表であることの3点が挙げられている。

日本城郭協会の選定のほかには村田修三監修の『日本名城百選』、『日本名城一〇〇選』(秋田書店)、『日本名城大図鑑』(新人物往来社)による選定がある。

選定にあたったのは、新谷洋二(選定委員長・日本城郭協会常務理事・東京大名誉教授)、小和田哲男(静岡大)、黒田日出男(立正大)、千田嘉博(奈良大)、平井聖(昭和女子大)、村井益男(日本大)の諸先生。

一般公募で寄せられた478城から検討。
城郭の始まりとされる環濠集落吉野ヶ里(佐賀県)や中世の足利氏館(栃木県)、西洋式の五稜郭(北海道)など全国から時代も幅広く選定された。

当時はただ発表しただけだったが、翌年の2007年からは「日本100名城選定記念スタンプラリー」が始まり、各名城の資料館や案内所や管理事務所などにスタンプが置かれるようになり一つのブームとなった。

そうなると選定に漏れた施設、スタンプラリー参加者の間で様々な疑問が提起されることになった。

最終選考で落選した城郭としては、高崎城、富山城、郡上八幡城、大垣城、小倉城、中津城が挙げられる。

高崎城は落選の理由として、今も縄張りのほとんどが公共施設敷地に占領されているためと思われるが「水戸城だってほとんど公共用地じゃん」と言うと「歴史的に重要度が高いから」ということらしいんですが・・・・

その他の城郭は復元が史実と違うということで落選です。
小倉城は破風が無かったのに復元時につけたとか、中津城は天守が無かったのに再建時に作ってしまった。

また逆に岩国城は「復元整備に問題あり」とのことで、(財)日本城郭協会の「日本100名城」から危うく落選するところでした。

これは天守の再建時に錦帯橋と同時撮影が可能なように天守の再建位置をずらしたことが問題視された。

選定に漏れた城郭からは以来観光客がガタ減りになった等の恨み節も聞かれる。

また、城ファン側からの意見をネットで拾ってみると、根室半島チャシ跡群・根城・多賀城・足利氏館・湯築城・吉野ヶ里遺跡チヤシを100城として選択するのは、多くの共感をえられないと思う。

多賀城は、「城」の文字が付されていても、城とは認識されていない。
多賀城が城であれば、平城京も城である。

吉野ヶ里遺跡は、防御性集落であっても、城として選定するというのは、スタンドプレーにしか思えない。

足利氏館は、鎌倉武士の方形居館の典型として選定されたのだろうが、近年の研究では、戦国時代の改修後の姿とされ、選定の意義が疑問視される。

湯築城と根城は、発掘調査後に建物の推定復元が行われたことが評価されて選定。
だが、城の遺構自体の価値を冷静に分析すれば、100名城に選択されるべき城とは思えない。

100名城選択にさいしては、各都道府県1城以上という選択基準は排除すべきであり、秋田県や富山県から選択する必然性はない。

スタンプラリーも考慮すると、根室半島チャシ群、山中城、観音寺城、千早城、湯築城、大野城、吉野ケ里あたりは外して欲しい。

等々の意見が聞かれる。

根室半島チャシ群については行きにくさからスタンプラリーで残している人も多いのも事実。

総論的で平均点を狙う役人の報告書のようにも感じる。
100名城のスタンプラリーを財団の事業にしているらしいが、こうなると少々胡散臭く思ってしまう。

と、いう意見もあった。

ま、一つの基準が示されるとそれに対する意見は大なり小なり出てくる。
しかし、城ファンとしては城を楽しむことが本来の目的である、それらの異聞も楽しみながら城歩きを楽しみたい。