新緑のまぶしい曼殊院

5月に入り日差しも強くなり汗を拭き拭き曼殊院への道を辿った。

勅使門の両側の白い築地塀に残る5本の定規筋は、皇室一門所縁の五門跡の最高位の寺格を伝えています。

白壁に映えるモミジのの緑とウマスギゴケの深緑色が、コントラストを豊かにしています。

天台宗の門跡寺院。
五箇室門跡の一つ。
最澄が比叡山に建立した一堂に始まり、1656年(明暦2)良尚法親王のとき、現在地に移る。

良尚法親王は桂離宮を造営したことで名高い八条宮智仁親王の第二皇子であり、後水尾天皇の猶子であった。

庭園は、大書院と小書院の南に展開し、白砂敷の上に大小三つの中島が築かれている枯山水です。
中でも書院から見て右奥の中島にある大きなゴヨウマツが目を引きます。

「よこしまな心を払い、取り除け」大書院廊下の扁額「塵慮尽 (じんりょじん)」と書かれています。

書院の南側に広がる枯山水の庭は深山と水を緑と白砂で表現しています。
5月初旬にはツツジ類、特にキリシマツツジの赤い花が新緑に彩りを添えます。

曼殊院胴を下ると一軒だけ残る雲母漬の漬物屋さんがある。
雲母漬は親指ぐらいの大きさの小茄子(もぎ茄子)を白味噌で漬けたもの。

霊峯比叡山、山王院に通ずる坂道を雲母坂又は勅使坂とも云う。

ここから山へ登る名僧達がこの難所雲母坂の和労堂に憩う人々の多くはこの茶店にて中食し「みそ漬」を賞味しこの地特有の風味を好評して昔より「雲母漬」と名づけられた。

登山者が急坂をのぼる苦しさの中の楽しい味の一つとなったと言われる。

雲母坂は延暦寺の僧兵が朝廷への強訴などに通った道。
その後も京と近江を結ぶ幹線道路だったが、信長の命で山中越えが新しく開かれてから利用されなくなった。

坂の名である「雲母」の由縁は、この山道が花崗岩の砕けた地質であり、土砂中に雲母が含まれていることによるとされるが、異説もある。

延暦寺の千日回峰行が行われる行者道でもある。

浄土真宗の宗祖とされる親鸞が、9歳(治承5年〈1181年〉)の時に青蓮院で出家し、叡山(比叡山延暦寺)へ修学のために登り、29歳(建仁元年〈1201年〉)の春頃に叡山と決別し、六角堂へ百日参籠を行うために下山した道とされる。

一乗寺駅の近くでharunachikoさんの大きなイラストが描かれたカフェを見つけた。

ギターを抱えたおじさんのロゴはやっぱり音楽も楽しめるという雰囲気ですね、ジャズも流れていてオシャレな雰囲気です。

テーブルにさりげなく置かれた緑に涼を感じた。

以前に訪れた曼殊院の記事です曼殊院門跡の幽霊掛け軸

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曼殊院へのアクセス、行き方歩き方

京都市左京区一乗寺竹ノ内町

叡山電鉄叡山本線修学院駅下車、徒歩20分
京都市営バス5・31・北8系統、京都バス18・55系統「一乗寺清水町」バス停下車、徒歩20分

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