航空自衛隊 浜松広報館

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航空自衛隊を日本国民により多く理解してもらうことを目的として、1999年4月にオープン。

戦闘機、練習機、ヘリコプターや装備品等の展示をはじめ、航空自衛隊のパイロットが使用している、フライトスーツ及びヘルメット等の体験試着、動揺フライトシミュレーターや、全天周シアター等を設置するなど、見て・触れて・楽しむ事の出来る航空自衛隊初の博物館形式の施設。

入場は無料で駐車場も無料。(某反日政党が与党の時は有料になってたそうだが)

広報館のシンボルとして正面入口に展示されている F-86F 初代ブルーインパルス仕様。
そういえば浜松基地って、ブルーインパルス発祥の地ですね。

田中角栄氏の運命を決定づけた、かの有名なロッキード F-104J。

F-86F等に続く第2世代のジェット戦闘機。初飛行は1954年。日本でもライセンス生産され、1967年には230機が配備され、F15の配備によって、1986年に退役した。

施設に入ると、まずXF2の実物大模型が置かれています。
XF-2はF-2の試作機です。

米国のロッキード・マーティン社のF-16多用途戦闘機を大型化した機体に、空対艦ミサイルを最大4発搭載という、戦闘機としては世界最高レベルの対艦攻撃能力と対空能力を兼備している。

戦闘機などに搭載されたジェットエンジンのカットモデル、エンジンのメカニズムを見ることができます。

ブルーインパルスの模型。

航空機の模型、この模型は全て、1/32スケールで制作されていて航空機同士の大きさの比較ができる。

対空火器のラインメタル社製の対空20ミリ2連砲。

取材日に飛んでいた練習機。

DH115バンパイア、研究用にイギリスから輸入。

第2次大戦末期に完成したイギリスのジェット戦闘機ヴァンパイアを並列複座に改装した。
1956年に国産練習機開発参考用に導入された1機。

ボーイング・バートル/川崎重工 KV-107IIA-5 救難ヘリコプター (24-4832) 尾部の搭乗員、器材扉。

国産化もされ、陸海空自衛隊、そして警察などでも採用された。
米軍ではCH-46と呼称され、原行大型ヘリCH-47チヌークの前の型番である。

ローター直径約15.2m、全備質量約9.7t。エンジン1,250馬力×2基、最高速度約250km/h。

DH115バンパイア 練習機。

零式艦上戦闘機52型、支那事変から太平洋戦争初期にかけて、2200kmに達する長大な航続距離・20mm機関砲2門の重武装・優れた格闘性能を生かして、米英の戦闘機と優勢に戦い、米英のパイロットからも「ゼロファイター」と呼ばれた。

開発元は三菱重工業。
三菱に加え中島飛行機でもライセンス生産され、総生産数の半数以上は中島製である。
生産数は日本の戦闘機では最多の約10000機。

地対空誘導弾ナイキJ、1953年から米国ウエスタン・エレクトリック・カンパニーなどで開発された高高度迎撃用地対空ミサイル「ナイキ・ハーキュリーズ」。

航空自衛隊では1970年から導入を開始、三菱重工でライセンス生産して「ナイキJ」と称し、1994年まで運用した。

固体ロケット2段式で、1段目のブースターは1世代前の「ナイキ・アジャックス」のブースターが4本束ねられている。

誘導はレーダー指令方式で弾頭には510kgの高性能炸薬かW-3 10/20ノット核弾頭が搭載可能だったが、もちろん自衛隊の保有するナイキJは高性能炸薬専用となっている。

1969年から13年に渡って自衛隊の合憲性が争われた「長沼ナイキ訴訟」の発端となった誘導弾としても知られている。

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浜松広報館へのアクセス、行き方歩き方

住所:静岡県浜松市西山町無番地 航空自衛隊 浜松基地
電話:053-472-1121

JR浜松駅北口、「浜松駅バスターミナル」14番線『泉・高丘行き』乗車『泉四丁目』下車、基地外柵沿いに、徒歩約15分。

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