淡嶋神社で針供養

流し雛で有名な加太の淡嶋神社で8日、針供養が行われた。

この日は朝から多くの女性が参拝に訪れています。

同神社は、人に裁縫を伝えたとされる少彦名命(すくなひこなのみこと)をまつっており、毎年恒例の針供養は江戸時代中期から続いているという。

針供養が始まった経緯については2説ほどあるという。
当時、淡嶋願人(がんにん)と呼ばれる和尚が沢山現れて全国を行脚し、「淡嶋に持っていって供養してもらう」と言って折れた針やかんざしなどを預かった。

その後、淡嶋神社で始まったというのが一般的によく知られている。
これに対し、逆に最初は神社で細々と針供養をしていたが、願人の宣伝で全国に広まったという説もある。

集められて神殿に奉納されているたくさんの針。

針供養は事納めの12月8日に行っている神社もあるが、淡嶋神社は事始めの2月8日。

菜の花、大根、ふきのとう、えんどう豆などが供え物として飾られた神前で午前11時すぎ、みこや稚児がびんや缶の中にいっぱい詰められた針を箸で取り出し、三方(さんぼう)という台に乗せていく。

そのあと、境内の針塚の後ろの穴の中に埋葬し、塩を振り掛ける。

針供養の中には、折れたり曲がったりして使えなくなった針をこんにゃくや豆腐に刺して感謝するという所もある。

普段硬いものばかりに刺してきたから、軟らかいものに刺して休ませようというのでしょうが、仕事を終えた針にまた仕事をさせることになるので、淡嶋神社では塩でさびさせ土に返すという方法をとっているそうです。

針塚の後ろに回って見ると、針を埋葬する穴の上に少女が乗っかっています。
どうして隠すように祀られているのだろう。

粟島大明神は婆利塞女(ハリサイジョ)と呼ばれる天照大神の六番目の娘で、後に住吉明神の妃となったそうです。

いつしか下の病にかかり夫婦の契りが出来なくなり、病を治そうと人形を作って海に流したのですが、どうしても治らなかったため、堺の浜から舟に乗せられて流されてしまったそうです。

辿り着いたのが加太の浦の粟島であったとか。
婆利塞女は、自分と同じ婦人病に苦しむ人を救うべく誓願されたということです。

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淡嶋神社へのアクセス、行き方歩き方

住所:和歌山県和歌山市加太
電話:073-459-0043

南海電車「加太駅」下車徒歩15分