第一番の本寺を起点として遍路を始める人が多いため、巡礼装束である白衣や金剛杖、菅笠、納経帳、掛け軸などさまざまな巡礼用品を揃えられる売店が本堂横と駐車場にあり、遍路初心者には遍路作法なども伝授している。
寺伝によれば奈良時代、天平年間(729年 – 749年)に聖武天皇の勅願により、行基によって開創されたという。
発心の門、お遍路さんの出発点です。
山門(仁王門)は入母屋造楼門。
竺和山(じくわさん)一乗院(いちじょういん)と号する。
釈迦如来を本尊とする。
とくしま88景に選定されている。
本堂、本尊は2014年に4か月間開帳され秘仏に戻った、堂内で参拝できる。
霊山寺は水子供養のお寺なのかな、やたらと子供の地蔵さんが多い。
多宝塔、五智如来像を安置している。
応永年間(1394年 – 1428年)の建造。
十三仏、初7日から33回忌の死者の追善供養のために割り当てられた仏様。
本堂の内部。
不動明王。
御釈迦さんかな、池に鎮座してござる。
どこを見つめてるのかな。
お大師さん、寺伝その他の言い伝えでは空海が弘仁6年(815年)に四国霊場を開き、札所と札所番号を定めたことになっているが、これは史実ではない。
四国は奈良時代から山岳信仰(後の修験道)の修行地で、空海も渡唐前には私度僧として修行のために故郷でもある四国で修行をしたが、唐から戻って後、特定の八十八箇寺を札所として定めたことはなく、後の人々が空海ゆかりの寺々を霊場に定めたものと推定される。
実在の人物としての空海は、弘仁年間には都で密教の普及に努めていた。
三鈷の松”には弘法大師にまつわるお話が残っています。
弘法大師が唐で修行を終えて帰られる前に三鈷という仏具を日本の修行地に飛んでいくうにと願って投げ日本へ帰って投げた三鈷を探しました。
そして高野山で松の木に架かっているのを見つけ その地を聖地と定めました。
今も高野山にある”三鈷の松”がそのときの松といわれています。
三鈷の松葉をサイフに入れておくと幸福になる、あるいはお金が入ってくると言われています。
本尊の釈迦如来は空海作の伝承を有し、左手に玉を持った坐像である。
江戸時代に入り庶民による霊場巡礼が盛んになると、四国を修行した僧などが案内書を出版するようになる。
そのうちの一人が大坂で四国邊路道指南(しこくへんろみちしるべ)を出版した真念であり、この真念がはじめて八十八箇所を特定し札所番号を定めた。
当時大坂から四国へ渡るには淡路島を経由し鳴門から四国入りするのが一般的であったので、鳴門の撫養(むや)の港に最も近い霊山寺を第一番札所と定めたと推測される。
「いざ大海へ」と題する素人彫刻家の像。
パンダの像もあったり、それぞれの脈絡がわからず、結局、なにかよくわからない寺との印象を受けた。
中世以降に弘法大師信仰が成立して、巡礼の一形態として今日に伝えられた。
しかし、江戸時代以前はプロの修行者によってのみおこなわれるものであって、在家信者の姿はほとんど見ることができなかった。
それまでの修行の場だった四国遍路が、江戸時代初期に行われた真念の活動によって庶民化されたのであり、現在の遍路が決定づけられた。
真念は二十回以上の四国遍路をおこなったとされており、高野聖の性格を有した僧と思われる。
要するに伊勢詣、熊野詣と同じく、ブームに乗った観光誘致とみる。
ま、都会の喧騒や仕事のストレスを忘れる癒し旅として訪れるにはいいかも知れない。
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霊山寺へのアクセス、行き方歩き方
住所:徳島県鳴門市大麻町板東塚鼻126
電話:088-689-1111
四国旅客鉄道(JR四国) 高徳線 – 板東駅 下車 徒歩10分
徳島バス 大麻線「霊山寺前」下車 徒歩1分
高松自動車道 鳴門西バスストップから徒歩12分。