阿波一宮 大麻比古神社

西南西恵方初詣、2番目の訪問地は阿波一宮 大麻比古神社。

通称として「大麻さん」とも呼ばれ、阿波国・淡路国両国の総鎮守として、現在は徳島県の総鎮守として信仰を集める。

『全国一の宮めぐり』によれば室町時代には細川氏や三好氏、江戸時代には徳島藩主蜂須賀家の庇護を受けたとしている。

また、享保4年(1719年)には最高位の正一位の神階が陞叙されている。

明治6年(1873年)に国幣中社へ列格し、明治13年(1880年)に本殿以下が国費を持って造営された。

境内に入り、階段を上ると、目の前に御神木の楠がある。
樹齢千余年といわれる大木が、参拝客を迎える。

まるで象の顔のよう。

奥に拝殿が見える。

本殿。

心願の鏡池

第1次世界大戦のさなか、中国青島(チンタオ)の戦いで捕虜になったドイツ兵士 約千人が 大正6年から9年にかけて異郷の地 板東俘虜収容所に過ごした。

ドイツ兵士達が、遠い祖国を偲びながら1日も早く故国に帰れることを願いつつ当神域を散策し、記念のため境内に池を掘ってメガネ橋を配し、小谷にドイツ橋を架けた。

板東の地で、日々を送った兵士達は、地元の人々と国境を超えた暖かい友情で結ばれ、今も尚、日独友好の灯をともし続けている。

以来70有余年を経て、この度 当神社では神池を拡張し、メガネ橋の周辺を整備して、「心願の鏡池」と命名した。

平成4年3月吉日 阿波国一の宮 大麻比古神社 社務所と案内に書かれている。

背後の大麻山の頂上には奥宮峯神社が祀られています。
歩いて2時間程度。
境内から遥拝する遥拝所もあります。

徳島県の名産「すだち」は 果皮、果汁が酸味を帯び、特有の芳香を放ち、昔から季節の味覚として料理に愛用されています。

古来 阿波の霊峯 大麻山の見える所でしか産しないと言われ、大麻山には「すだち」の古木があると伝えられています。
と案内にある。

ドイツ橋は、横から見ることが可能です。(通行禁止)大正8年4月初旬に工事がはじまり、6月末に完成。
 
第1次世界大戦の際、中国の青島で捕虜となったドイツ兵953人が、大正6年から9年までの間、大麻町桧の板東捕虜収容所に収容されていました。

この間地元の住民との間に”国境を越えた人間愛と友情”がめばえ、高い水準のドイツ文化が伝えられました。

バターやチーズの製法、博覧会の開催、楽団による演奏会等地元の発展に大きく貢献しました。

帰国を前に記念として母国の土木技術を生かし近くで採れる和泉砂岩を使ってドイツ橋が造られました。
と案内にある。

寄進された狛犬像。
よく見ると、足元でタバコの煙をモクモクと吹く人間の姿が。

これは麻の神社から考えれば大麻(麻薬のタイマ)なのかも。

石質は和泉砂岩のようです。

大坂泉州や淡路、鳴門、松山にいたる白亜紀の中央構造線(断層)沿いの海(当時は海でした)に陸上の火山の噴出物が堆積して出来た凝灰質砂岩(和泉砂岩)で作られた狛犬で、精緻な彫刻の出来る石材です。

ドイツ館、第一次世界大戦中のドイツ人捕虜収容所(板東俘虜収容所)の記念施設として、1972年に創設された。

現在の建物は2代目で、1993年に竣工した。

捕虜の人権尊重と自主的な運営を許し、地元民との交流も活発に行われたため多くのドイツ文化が伝えられた。

そのひとつとして音楽の分野ではベートーベンの第九がこの収容所において日本国内初演された。

道の駅『第九の里』
旧板東俘虜収容所兵舎が現は物産店、ドイツソーセージ・ホットドッグ店として使われている。

蜂須賀桜は、ヤマトザクラと沖縄系の桜の一代交雑種カンザクラの一種で、江戸時代まで徳島城御殿にあった。

明治初期の廃藩置県に伴い、最後の徳島藩主・蜂須賀茂韶(もちあき)が重臣の原田家(国登録有形文化財)当主に託したとされています。

開花は、早く2月中旬から淡い紅色の花を約1ヶ月にわたり咲かせてくれます。

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大麻比古神社へのアクセス、行き方歩き方

大麻比古神社公式サイト

住所:徳島県鳴門市大麻町板東字広塚13
電話:088-689-1212

JR徳島駅→徳島バス大麻線43分、バス停:大麻神社下車、徒歩すぐ

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